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リレーコラム「集団精神療法のさまざまなかたち」 No.05 ~SST編② SST「現場での体験談」

SST「現場での体験談」

片柳光昭

 

私がSSTを初めて知ったのは、約25年前に精神科病院付属の精神科デイケアで勤務していた時である。当時、勤務先でSSTプログラムを導入することが決まったのだが、スタッフは誰もSSTを行ったことがなかったため、別の部署に所属していた認定講師にお願いして、通所者を対象にしたSSTを何度か実践していただいた。見学という形でSSTを初めて見た私の印象は、決して良いものではなかった。プログラム中、何度も拍手をしたり、褒めることが続いたり、進め方も決まっていて、日常の生活とはかけ離れたやり取りのように感じ、これは一体何をしているのかと全く理解ができないでいた。しかし、私の反応とは異なり、参加している通所者は表情をイキイキとさせ、普段ほとんど他者交流が見られない通所者がロールプレイを行ったり、他の通所者のために自分の経験を話したりと、私が知らない通所者の側面をいくつも見ることができた。そのことはとても衝撃的だった。通所者の様々な生きる可能性を感じられたことが嬉しくて、SSTについて少しずつ学びを深めていった。

その後、私も含めた精神科デイケア専属のスタッフが週に1回の頻度で実施することになり、毎回、準備と終了後の振り返りが続いた。準備では、朝早くに職場に出向き、誰もいないデイルームに椅子を並べて、デイケアにあったぬいぐるみを椅子の上に置き、本番さながらに予行練習をしたりもした。参加者のよかったところ、できているところを上手く本人に伝えられず、ほめる言葉全集というようなタイトルの書籍を購入したこともあった。準備を入念にしても上手くいかないことも多かったが、参加者から「今日の練習で自信が持てた」「そんなスキルがあるなんて知らなかった。知ることができてよかった」といった感想が少しずつ聞かれるようになり、少しは役に立てている気がして胸をなでおろした記憶が残っている。

それでもSSTの時間が始まると頭が真っ白になり、何を練習したらよいのか、次にどう進めたらよいのか、展開が全く見えなくなることが度々起こった。そういう時に限って、リーダーである自分がしっかりしなければ、自分がグループをまとめて進めていかなければとの思いが余計に強くなり、仮に頭が真っ白になったとしても、それを参加者に悟られないように半ば強引に進めていく…そのようなやり方は当然上手くいくはずもないのだが、他に手立てがあるわけでもなく迷子になることが多々あった。ある日のSSTでのこと、例によって進め方が分からなくなってしまった。どうしたらよいのか、その先が見えずに困って立ち尽くしていると「リーダーさん、こうしてみたら?」「次は、これをやればいいんだよ」と参加者から暖かな声が聞こえてきた。そうか、参加者の皆さんからの声に助けてもらい、一緒にSSTを作っていけばいいのかとハッとさせられた。目の前にいる参加者が見えなくなり、SSTを上手く進めることばかり気を取られていたのだ。いくらSSTを上手く進めたところで参加者の豊かさにつながなければ私の自己満足でしかない。SSTは目的ではなく手段であり、その目的は参加者の生きる豊かさを広げ、深め、高めるためであることを、このような苦い経験を通じて何度も教えていただいた。

これまで様々な場面でSSTを実施してきたが、25年以上経過した今も、始める前には緊張もするし、上手く進められないこともまた起こる。それでも、参加者が抱えている困りごとや問題の解決に向けて、その場にいる全員がいろいろな可能性を探りながら進んでいく時間はいつも創造性に満ちている。そのような時間をこれからも大切にしながら、SSTに携わっていきたいと考えている。

 

 

日本集団精神療法学会公式HPコラム No.05 2023年9月)

※PDFファイルで読む → SST「現場での体験談」