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リレーコラム

変えないことで、変わるグループ

片柳 光昭

日々の暮らしのなかで、私はいくつもの「グループ」に属しているということに気付かされる。職場というグループ、家族というグループ、地域というグループ、そして顔を見たことのないオンラインでの趣味のグループ。グループに属しているからこそ、独りで過ごすことを楽しめているようにも感じられる。

私はこの春、長く勤めた組織を退職し、新たな組織に入り、役職者としての職務を担うことになった。私にとっては「新しいグループに入れていただく」という体験である一方で、組織の長という立場から、「新しいグループをつくる」ことにもなる。この「新入り」であり「リーダー」でもあるという立場は、なかなかに複雑である。既に形作られている関係性の中に、自分という存在がどのように影響するのか、慎重に見極めなければならないという思いがあった。受け入れてもらうことの大切さ、すでにあるグループを尊重すること、これらは私の中でのある重要な記憶と結びつく。

それは、災害後の中長期支援の現場での経験である。東日本大震災以降、長く被災地支援に携わってきたが、そこで私は何度も被災地域を外部組織が支援する難しさを目の当たりにした。「もっとこうしたほうがいい」「ここは変えるべきだ」——そうした外部からの支援の声が、被災地に生きる人びとや、そこで働く支援者を知らず知らずのうちに傷つけてしまうことがある。外部からの支援はときに力にもなるが、ときに相手の歩んできたそれまでの経過、努力、成果等を否定することになりかねない。このことは震災後の被災地支援に限ったことではないと考える。

だから私は、着任した職場ではまず「変えない」ことに取り組んだ。仮に組織運営から職場のレイアウトに至るまで、様々に改善の余地を感じたとしても、すぐに手を加えるのではなく、「これまで」を大切にすることを心がけた。長く勤めてこられた職員の皆さんが、日々の業務をどのように遂行し、どのような1日を過ごし、どのような思いを持っているのか、まずそれらを肯定し、受け入れることから始めた。

しばらくすると、不思議なことに徐々に職員のなかから「実はこう思っているんです」「こうしたほうがもっとよくなると思う」といった声が届くようになった。それは、私という「外から来た人間」から発信される変化ではなく、職場というグループが“自ら”変化を望むようになるプロセスだった。そしてそのタイミングで「変えない」ことから「変える」ことに職場全体で取り組む方向に舵を切った。「新入り」であり、「リーダー」でもある私は、この時点で「グループの一員」になったように感じた。

グループが形を変え、新たな形をつくる経過は様々あると思うが、今回、外からの力、上からの力による変化ではなく、その内側にある声から始まる変化を大切にしようと考え、取り組んだ。お陰様でこの変化は、現在のところ所属している職員からも好評であり、私自身もこの職場に所属していることに誇りと喜びを感じている。この職場は「私が加わって作り上げたグループ」ではなく、「皆でともに育て始めたグループ」だと言えるだろう。

グループとは、誰かが一方的につくるものではなく、時間と信頼関係のなかで、内側から形づくられていくものなのだと、改めて実感している。

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2025年7月

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2025年6月2日リレーコラム

与えられた機会で、それがグループとなるように

藤澤美穂

群馬の加藤祐介さんからバトンを引き継ぎました、岩手の藤澤美穂です。加藤さんとは2024年の第41回大会(高富栄大会長)の大会準備でご一緒したご縁がありバトンを渡していただいたものと理解しています。大会開催までの道のりを企画運営委員会というグループで共に進み、学会という大きなグループと相互作用していくプロセスは、私自身には2010年の第27回大会(宇田川一夫大会長)で経験した頃よりもよりダイナミックに感じられ、月日の重なりを実感することにもなりました。自分と時間軸にかかわる“縦”と、自分と周りにかかわる“横”とのつながりを感じられることが、グループに関わる上での醍醐味のひとつだと考えます。この縦横のつながりは、加藤さんのコラムにあったグループが「ある」からグループに「なる」へと変遷していくこととも関係するように思うところです。

さてグループの立ち上げというテーマで、私は日頃の業務が浮かびました。現在私は医療系大学の初年次教育の担当教員をしています。各学部教員はそれぞれの職能のプロフェッショナルで構成されていますが、私の部署は全学部の教養教育を担う役割のため、教員は数学や物理学、英語学などのそれぞれの学問分野の研究・教育者で構成されています。その中で対人援助専門職でもある教員は私(臨床心理士・公認心理師)を含め数名という少数派です。そういった部署の中で多職種連携教育に関わる科目の科目責任を担うよう命じられました。私の勤務校では現在、1・3・6年次(4年制学部は4年次)において学部横断的な多職種連携教育(IPE:Interprofessional Education)科目を開講しています。現代医療における専門性の高い知識かつ全人的医療への要請、ならびにそれらに基づく医療サービスの質向上の持続のため、異なる学部の学生が、同じ場所で共に学び、互いから学び合いながら、互いのことを学部/職種の垣根を越え学ぶ機会の確保という位置づけです。このような経緯・背景での1年生科目の責任者(リーダー)を担当することになったわけです。

初年次のこの科目は、アカデミックスキルの修得と、専門職間の連携意識とコミュニケーションスキルを高めるためのアクティブラーニングの両方が含まれ、それらの統合を図っていくという構成になっています。後者では、正解のない問いに対し複数学部混成の小グループでディスカッションをしながら結論に至り、そのプロセスの体験を通して他学部学生の専門性への関心と理解を深め、チーム医療の基盤づくりにつなげることを目指します。これらの小グループ作業に私の部署の二十数名の教員全員がテューターとして関与し、学生の主体的な学びと議論をサポートする体制をとります。

リーダーとしての私は、アカデミックスキル修得部分を担当する教員のグループ、アクティブラーニングの構成検討を担当する教員のグループ、テューターとして指導関与する部署教員全体のグループ、そして上級学年の多職種連携科目担当との協働連携という全学的位置づけのグループと、多層なグループに同時並行で関与する、そんな毎日を送っています。

この役割となったのは昨年からです。そして今まさにこれらのグループの一部として、またこれらのグループに向き合いながら、科目の歴史や経緯を踏まえながらも新たに求められることを取り入れ、また各グループ同士のつながりを意識しながら、奮闘しているところです。

多職種連携という点では、対人援助職ではない教員にとってはその実際をイメージしにくい事情があります。また各教員の背景、たとえば本学での在勤年数やアクティブラーニング教授経験、学生との距離感や指導方針など、様々な違いもあります。私自身はまずは、メンバーとなる担当者同士のグループが安全で心地よく、かつ創造性を発揮できるように、ということを心がけるところです。そして担当教員たちの雰囲気が学生にも伝わるだろうとも考え、学生が将来チーム医療を構成するメンバーとなったときの多職種連携イメージの一端をささやかでも担えるように、ということも意識しています。馴れ合いではなく、必要な意見や指摘をしながらも、互いを尊重し、力を合わせるというあり方の追求と言えるでしょうか。それらがうまく実現できるよう、グループと関わる自分自身を振り返り点検する日々です。

役割を担った個人の集合としてのグループが「ある」状態からグループに「なる」ことへの移行が可能となるように、そして組織として目標を共有しながら共に支え補いあえるチームに展開できるように——昨年からの新たな役割に臨む中で考えていることです。

 次のバトンを、同じ東北の中でグループの視点にて取り組んでおられる方につなぎます。

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2025年6月

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リレーコラム

「グループが生まれたとき」

加藤祐介

吉沢さんからバトンを引き継ぎました、群馬の加藤です。まさかリレーコラムの運営を担っている広報委員の私にバトンが届くとは、まったく予想していなかったのですが、改めて私も会員の一人なのだと感じられて、うれしい気持ちになりました。

さて、改めまして、みなさま、第42回学術大会、大変お疲れ様でした。当日参加された方、諸事情で参加できなかった方を含め、2日間(ある人は3日間、祝日を入れると4日間かも…)で、さまざまな体験をなさったのではないかと想像します。私は2年連続の運営委員として、大会の運営に関わらせていただきましたが、同じ「運営委員会」という名前の組織でも、その雰囲気や進め方は大会ごとに大きく異なっており、その違いを直に体験することで、多くのことを学べました。

大会のシンポジウムでも話題になりましたが、グループはそこに「ある」ものです。共通の目的を持った人が集まれば、すでにそこにはグループが生まれているといえるでしょう。今回、大会の準備にあたる運営委員会、そして当日のワークショップ、一般演題、事例検討、シンポジウムなどのグループという枠組みは、すでにそこに「ある」もので、私はそのグループに加わり、特定の役割を担ったにすぎません。しかし、それは今回の大会テーマである、グループが「生まれる」という体験とは、少し違うような感じがしました。では、グループが「生まれる」とはいったいどのようなことを指しているのでしょう?最初は、グループを運営しコンダクトする側の視点から、言い換えれば群衆や集団といった人々の集まりをグループ(集団精神療法)として機能させようとする専門家の視点から考えていましたが、大会を通して、参加者(グループメンバー)の視点からも「グループが生まれるとき」とはどういうことなのだろうか?と考えることができました。

運営委員だけでなく、一般演題、自主企画ワークショップなどのプログラムも、毎年同じような目的や枠組みを持ったグループといえるでしょう。しかし、私には、その年ごとに大きく違ったものとして体験されました。この違いについて考えると、グループがそこに「ある」だけでなく、その地域や、コンダクターを含めたグループに参加している人たちの関係性など様々な影響を受けながら、その枠組みが唯一無二の個性を持ったグループとして独自に成長・発展・変化していくプロセスがあるように思います。グループが「ある」と対比すると、これはグループに「なる」と表現することができるかもしれません。

このグループに「なる」プロセスは、大会テーマ「グループが生まれるとき」と関係がありそうです。私にとってそれは、グループにいることが保証されている安心・安全・信頼に基づく感覚に近く、学術大会や教育研修への参加を続けることで育った部分が大きいように思います。グループで何らかの役割(運営委員や発表者、企画者など)を担ったことも影響しているでしょう。加えて、意見や感じ方の違いがあっても排除されず、互いの存在を認め、互いに学び合うことを本質としている本学会は、ただ参加したり、役割を担うだけでなく、自分から何かを発信することが求められます。自分が体験したことを、勇気を出して一生懸命に伝え、メンバーに耳を傾けてもらい、反応してもらう。この心をこめて「話す」「聴く」の両方が達成されたときに、安心・安全・信頼の感覚が育ち、そこに「ある」グループがグループに「なる」、つまり自分にとっての唯一無二のグループが生まれるのだと思います。

私は、今回の大会で、勇気を出して、グループの中で「話す」ことの重要さを感じました。運営委員会でも、大会内でも、勇気をもって自分の体験を話し、それを聞いてもらうことで、自分がグループの一員になれたと感じました。一般演題や自主企画ワークショップでは拙い実践の報告を聞いてもらい、シンポジウムでは「特権のある人しか話していない」と感じられたことを、残念な気持ちと共に発言しました。これらを聞いてもらった瞬間、その場が私にとってグループに「なった」、つまりグループが「生まれた」と感じられたのでした。

残念なことに、グループが「生まれた」と体験して、すぐに大会は終わりを迎えました。喪失感と隣り合わせでもあるのだなと思います。しかし、この経験は、私のこころに残っています。グループ体験を通して学んだ印象的なフレーズに「話せばなんとかなる」「グループの風景を持ち帰る(グループでの体験を取り入れ、内在化する)」があります。グループには、トップダウンで行われる教育や指導とは違う、豊かで能動的な学びがありますが、それを得るためには相応の代償が必要となります。私が考えるのは時間と勇気です。

このコラムをお引き受けした時にも、私の中で「グループが生まれた」と感じました。これはグループに所属してきた長い時間の中で、グループやメンバーのことを知り、勇気を出して発言して自分の存在を知ってもらえたこと、そして言葉を受け取ってもらえたこと、このような相互関係の積み重ねの中で体験されたものなのかもしれません。シンポジウムで話題になった「群盲象を評す」「プロセスを信頼する」「謙虚さと他者を尊重する」「特権」「終り」といったテーマからも、私は「安全」だから話すのではなく「安全」な場所を作るために言葉にするという、勇気をもってチャレンジする姿勢や態度の大切さを学びました。ですから、本学会は「特権」をもたない人にこそ、勇気をもって、その思いを発言・発信してもらえるような場所であってほしいと思います。言葉にすれば聞いてもらえるという「希望」をグループに抱いてもらえるよう、私もグループに関わっていきたいと強く思いました。

さて、紙面も残りわずかとなりました。相互に学び合うことのできるグループが一つでも多く生まれることを望みつつ、このコラムを閉じようと思います。意図したものではありませんが、リレーコラムは順調に列島横断を進めています。この流れに乗って、次は北に向けてバトンをつなぎたいと思います。

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2025年5月

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リレーコラム

「心の中のグループ」

吉沢伸一

集団精神療法学会の幽霊部員の吉沢です。長らく学会に所属してきましたが、ほとんど参加していない私に、大橋さんから「集団学会でも頑張ってもらいたい!という願いも込めて!」とバトンが渡されました。バトンを手にした私は、どこに向かって行けばよいのか戸惑っています。というのも「グループの立ち上げ」がテーマですが、児童精神科クリニックで15年続けてきた思春期グループがコロナでストップし、再開しようと試みたところメンバーが集まらず、「グループの立ち上げ」困難な状況があるからです。実際には、ある程度集まって個別面接を経てアセスメント・グループを開始したのですが、数名が急に学校に行き出し、数名は現時点での参加は心理的負担がかなり強く、結局グループでの関わりを希望したのは1名だけだったのです。
思春期では特有の対人関係の困難さがあります。学校でのグループの傷つきが、同年代集団のグループによって癒され、対人希求性や主体性が発揮されていくのを私は何度も目の当たりにしてきました。グループに受け入れられ自信を回復する経験は、個人心理療法では到達できないものがあります。グループに安全感が醸成され、メンバーが語り難かった対人関係上の不安や恐怖を語り、共感され受け入れられ、迫害感が減退し新たな視野が開かれる、そして互いに思いやる雰囲気の中で成長していく様子は感動的です。私がグループを細々と続けてきたのは、このかけがえのない瞬間に立ち合えたからでしょう。
しかし今回、「グループの立ち上げ」がうまくいかず、グループを強く求めていたのは私自身であるということに気づかされました。思春期グループを維持するのは簡単ではありませんが、メンバーを支えているつもりが、実は自分がメンバーに支えられていたことを痛感しました。ここでひとつのグループ体験が私に思い起こされます。それは私がまだ若かりし頃、集団精神療法学会の事例検討グループで青年期の統合失調症グループの経験を発表した記憶です。今から思うと、当時の私は過度に防衛的でした。メンバーのコメントはどれも辛辣に聞こえ、責められていると感じ、私は苛立ってもいました。検討の後半で私の防衛力が幾分低下したのか、「あなた自身はこのグループをどう体験したのだろうか」というベテランのメンバーの声かけに、思わず泣きそうになりながら「怖かった...」と返答しました。その方はにこやかに「そうだよね、よかった、ちゃんと感じているんだね」「このグループで大事なのはそこだよね」と述べました。他のメンバーにも前半とは違う何か暖かい眼差しで私を見守ってくれている感じがありました。若く経験のない私は気負って精神分析的小集団を試みていたのですが、とてつもない恐怖感が蔓延しているグループを必死できりもりしていたのでした。気張らずには自分自身を保てなかったのでしょう。だから、検討グループでもはじめは脅かされる経験が強かったのです。後半では、むしろ怖くて怯えるのは当然のことで、そこに身を置いてはじめてグループで何が起きていたのか見えてくるのかもね、という応援メッセージがグループ内に漂っているようでした。メンバーの方々は私が自ら気づきを得るまで待っていてくれたのだと思います。「あー、私はあの時のグループに助けられたんだな、あの体験があったからこれまでグループを続けてきたんだ」「そして、同じようにグループで支えたいと思っているのかもしれない」と感じます。
近年の私は、ワークディスカッション・グループに関心をもち、過酷な現場で臨床実践を行う支援者をサポートする試みを行っています。困難な職域、組織、クライエントと向き合う中で、支援者は様々な圧力を受け、ときに傷つきます。また、自身を含め臨床現場で何が生じているのかを把握することすら困難な場合があります。とりわけ、トラウマが関与する現場では猶更です。支援者の傷つきが幾分手当てされ、本来の感じ考える力を回復していく上で、グループの力がとても有効です。私は、リーダーとしてグループをマネージしていますが、グループの力は個々のメンバーの総和をはるかに超えてくると実感しています。私自身が何度もメンバーに助けられています。かつてはグループの中で脅えて防衛的であった私ですが、今ならグループの力を信じることができます。
このように連想を重ねていくと、クリニックでの「グループの立ち上げ」は困難でしたが、私には「心の中のグループ」が根付いていること、既にそれが立ち上がっていることを感じます。困難な局面があっても何とか乗り越えようとする「心の中のグループ」があるからこそ、私はグループを、ひいては臨床実践を続けようとしているのだと思いました。大橋さんからバトンを渡され、どこに向かっていけばいいのか分かりませんでしたので、とりあえず立ち止まったまま、思い浮かんだままに書き連ねてきました。さて、そろそろ幽霊部員を卒業して、学会の方に向かって進んでみようかと思います。誰と出会い、バトンを手渡すことになるのでしょうか。あっ、あんなところに、懐かしい人が...

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2025年4月

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リレーコラム

内的にも立ち上がるグループ

大橋良枝

谷さんから熱いバトンを受け取りました。しかし、受け取りたい気持ちが先走り、中身を考えずに引き受けてしまったので、何について書こうかなと後で悩みました。考えることのできるいい機会でした。そして、一つの連続したグループの立ち上げ体験を書くことに決めました。
私は、愛着発達上の課題を持つ子どもたちと教師集団の関係性の研究の経験から、母親を支えることに目が向き、母親支援、特に発達障害や知的障害のグレーゾーンにある子どもの母親が孤立しやすいという現象に思いを馳せ、そうした母親が孤立しないためのグループの立ち上げを考えるようになりました。障害グレーゾーンの子を持つ母親たちはまず、適切な相談場所を見つけるのに苦労します。病院は予約でいっぱいで、ようやく受診できても診断をつけるほどでもないと言われる。それでも支援を求めればたらい回しにされる。クラスでは同年代の子どもたちとうまく関われないし、少し変わった子だと遠巻きにされる我が子を見て胸を痛める。ママ友にも遠巻きにされている気がして被害的な気持ちが湧く。教師も、親のしつけの問題ではと思っているように感じる(実際に思われているケースも多々)。こうした経験から病院にも福祉にも教育にも不信感を強め、敵意すら抱く母親たちがたくさんいらっしゃいます。しかし、私は少ない経験から、そうやってグレーゾーンの子どもの今や将来に対して不安で不安で仕方がないという気持ちにリーチすることが本当に意味のあることだとも感じておりましたから、そうした母親に対して同質性のグループをできないかと考えておりました。
まず、私が当時所属していた大学の学内実習機関相談室に目をつけました。地域の障害グレーゾーンの子を持つ母親向けのグループをできないか、と。人が集まりそうならやったらいいじゃない、と室長から賛成してもらいました。ありがたいことです。
しかし、人が集まりそうなら・・・。そうです、どうやってそもそも支援に不信感を持っている人たちにリーチするのか?まず私は、地域の特別支援教室の教員や、学童や放課後等デイサービスで信頼関係を構築していた施設が数軒ありましたので、そちらに相談してみました。すると、紹介したいお母さんたちはいるけれど、自分たちがチラシを渡しても応募してくれるかどうかはわかりませんとのお返事。そうだろうなあ、と思いました。チラシを渡して応募してくれる人たちは、すでに施設に信頼感を持って頼れている人たちですもんね。そこで彼らと話し合い、手渡しではなく連絡帳にチラシを入れておく、さりげなく入り口辺りにチラシを貼っておくということになりました。そして、チラシに、「子育てで悩みを抱え、それを誰にも語れなくなると、どんどん周りが敵に見える、ということが心理学的に起きる」「同じ思いを抱く母親たちと、日常から離れて話し、耳を傾ける時間を持ちませんか」と、目立つようにハッキリ書きました。私が届けたい相手を想像しながら、彼らはどういった言葉を目にしたら関心を向けてくれるだろう、と考え、施設の方々にも相談しながら。
そうして8名の方がご連絡をくださいました。驚きでしたし、嬉しかった。彼らに無料の事前面談を行いました。お仕事の都合や家族の都合などもあり、個人療法として相談室につながった人もおりましたが、結果グループが適していると思われた方は3名。ですから、もともと相談室にいらした方もお誘いして何とかグループが成立したという状況でした。実のところ少し枠を広げて、女性のためのグループ、として成立したのですけれど、それはそれで意味があるものとなったようでした。このグループはメンバーの入れ替わりなどもありつつ、私が退任した後も続いているようです。
そして今、所属の大学が変わり、すでに20年続いているという、発達グレーゾーンの子どもたちが多く集まる子どものアクティビティグループの顧問に名を連ねることになりました。そのグループの中心メンバーは子どもたちですが、私のこうした経験を知った元の顧問の先生が、来ているこどもたちの母親グループをやったらどうかと仰ってくださり、そのように始めることにしました。1年クールのグループですが、「味方になってくださってありがとうございました」と涙をこぼされる方もいらして、いかに彼らが普段孤独であるかをビビッドに体験させられました。
前任校では構造を立ち上げるために、事務的なことや内外への交渉などいろいろ走り回りました。私がグループの立ち上げという言葉を聞くと、まず浮かぶのはこうした現実的な諸々の壁を突破し、グループのための安定した構造を作ることです。しかし、今回の経験から、関東から近畿に移って、物理的な構造は確かに違うのだけれども、関東で立ち上げたものの続きとして今のグループがあるようにも感じます。これは私の内的構造を通しての体験でしょうけれど、おそらくこの構造は新たに私が入って、母親グループを始めたときに何らかの安全感をもたらすものとして寄与していたんだろうと思います。
さて、次のバトンを誰に渡そうかいろいろな人が浮かびましたが、本当にいろいろな組織や会を立ち上げてマネージしている熱い同世代の方にお願いすることを決めました(リレーエッセイに名を連ねてもらうことで、もっともっと集団学会でも頑張ってもらいたい!という願いも込めて!)。楽しみにしています!

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2025年3月

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リレーコラム

共に、“立ち上がる”

谷麻衣子

長尾さんからの大事な“コノツギ”を受け取って、私の2025年は始まりました。

私にとっての“立ち上げ”は「移転」そして「異動」というキーワードから始まります。数年前のX年4月、職場の(小児心療科の)“移転”により、人生で初めて“異動”というものを経験しました。そして、新たに異動先で“立ち上がった”、「小児心療科・児童精神科の子どもたちが通う)院内学級」の担当心理士になりました。「何それ?(何をする仕事なの?)」と思われるでしょうか。私も最初は「何ができるのか?」という問いから始まりました。本日はその中での気づきや学びを書かせていただこうと思います。

私は新たに“立ち上がった”院内学級へ、私はX年12月から週1日、集団観察のために訪問するようになりました。当然ながら病棟でも、院内学級でも、日々様々なことが起こります。私は何をどこから考えていくとよいのだろうかと悩みながら、ビオンのグループ理論の文献や話題となった『愛着障害児とのつきあい方(大橋,2019)』を読みふけっていました。そのおかげで、私が置かれている組織(病院側)も、院内学級も、“立ち上がりたて”ゆえに、様々なところで不安や混乱が吹き出しやすく、スプリット(分裂、対立)やスケープゴートが生じやすい状況になっているのではという視点を得ることができました。そこから集団精神療法を勉強するご縁を頂き、今に至ります。
並行して、トラウマを持った人たちに安心・安全を与えるには支援者の安心・安全が大事であるというトラウマ・インフォームドケアの概念も自分に響きました。トラウマ・インフォームドケアの話題はこのリレーコラムのNo.3、二宮さんのところですでに出ています。その中の「スタッフ・組織の安全の上に、治療共同体、その上に業務や治療グループがある。この三階建てをうまく構築(苦労はありながらも)できている組織が求められる(安定する)と思います」という一文に、何度も頷きました。このトラウマ・インフォームドケアの学校版について詳しく書かれている『学校トラウマの実際と対応―児童・生徒への支援と理解(藤森,2020)』は、院内学級にも自己紹介がてらお伝えしています。
逆に、院内学級の先生方から読んでいる書籍・使っている教材などを教えていただく機会や、立ち話でちょっとしたことを教えてもらうことも多々あります。その「ちょっとしたこと」が私にたくさんの気づきと学びを与えてくれました。医療の中にいるだけでは見えなかった院内学級を取り巻く構造、病棟と違う学校だからこその強みややりがい、そして難しさ…個々の病院・学校単位では何ともしがたいこともあり、子どもたちのために “みんなで知り、考えていく必要があるのでは”という思いも浮かびます。
一方で、院内学級の担当心理士としては自分が置かれた組織(病院)の中で、院内学級と協働の視点をいかに持ってもらうかということも意識するようになりました。子どもの精神科入院治療においては、院内学級の先生方はもちろん、院内でも主治医、看護師、コメディカルとすでにたくさんの人が関わっています。さらに病棟関係の心理士も複数人いるため、院内学級担当心理士はチーム医療の辺境にいるような感覚が日常です。しかし、だからこそ院内学級と病院ではお互いに何が見えにくく、どんな情報や意見を共有できると協働しやすいのかに考えを巡らせることも増えていきました。こうした視点で生まれたアイデアを何かある度に組織に共有していると、ある日ふと『この情報を院内学級にも共有しよう』『この話し合いには院内学級の先生方にも来ていただこう』という流れが生まれることもあり、個人レベルでは決してなしえない、“集団(組織)の力”を感じています。
そんな中で、現在の課題は“考え続ける”ことです。新しい患者さんとの出逢いも、新たな治療の契機も、凪のような日々の後、ふとしたときにやってきます。『“立ち上げ”からの数年間、集団観察の中で感じた、子どもたちのちょっとした変化や違和感は水面下で起こっている何かとちゃんとリンクしていた、あの経験を思い出せ』と自分に言い聞かせながら、3学期に臨み始めました。

こうして書いていくと、私自身も集団と共に(そして、支えられ)“立ち上がってきた”のだと思います。そして、3月の集団精神療法学会も先日申し込みを済ませたところです。学会に参加しながら“考え続ける”ことを大事に、たくさんの気づきや学びを得ていきたいと思います。
そして、私に“集団の力”と“考え続ける”大事さを教えてくださった方へ、次のバトンをお渡ししたいと思います。

≪参考文献≫
大橋良枝(2019) 愛着障害児とのつきあい方―特別支援学校教員チームとの実践
藤森和美(2020) 学校トラウマの実際と対応―児童・生徒への支援と理解

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2025年2月

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リレーコラム

私の中でグループが立ち上がりかけている

長尾直子

Let’s Try!
前回12月のコラム担当小野塚さんからぐーっと背中を押してもらってなんとか書きます。

 グループは不思議だ。机も何もなく、まるごしの自分が中心を向いて座ることから始まる。どこを見たらよいのか、どういう姿勢で座るべきか、長く習ってきてそれなりに自分のスタイルがかたまってきたと思っていた個人の一対一の場での心理療法とは違うところばかり。早くこの環境に慣れていきたいと思っていた。話す側聴く側、教える側教えられる側というサイドがはっきりする場ではない、サイドのない空間。円なのだから当然と言えば当然か。閉じられた円は一周するようなイメージや内へ吸い込まれるようなイメージ、外の世界との遮断のイメージも浮かぶ。

 私が立ち上げに関わったのは街中の小さなクリニックの思春期グループ「コノツギの会」だけなので、そのことを書きます。

 対象は中高生年齢、クリニックを受診している子どもたち、定員15名で完全予約制。1回45分。「コノツギの会」という不思議な名前は小学生まではプレイセラピーがあり、その次の年代でのセラピーがなかったために院長が命名。週一回のペースで開かれているが、曜日が重ならないのと、希望者が多くなかなか予約が取れないので、毎回のメンバーはかなり変化がある。コンダクターが初めに約束事を伝える。「時間の枠を守る、何を話してもいい、聞いているだけでもいい、秘密は守る、先生と呼ばない。」子どもたちの背景は様々である。公立校、私立校、支援学級、支援学校、高専、通信制、定時制、フリースクール、アルバイト、寮生活、母子寮・・・。
 最初の頃、ココンダクターとしてどうふるまえばよいのかわからないまま不安になり、院長に尋ねたら一言「素になって」と言われた。「そうか、素になるってなんだか久しぶりに聞いた言葉・・」「私服に着替えるし、心理士でないようにふるまえばよいのだな」といったんはイメージできて参加。しかしこの年代になって自分はなんとまあいろいろなものを上に上にかぶせてしまっていることか、ということに直面していく。しかも心理スタッフ、ココンダクターとしての返答や振る舞いが他のスタッフにも見られている、ということへの意識、それがもうすでに素ではない・・・。名前を聞いても答えない子、外国籍の子、年齢も性別もはっきりとわかりにくい子。学校の話題が出たら・・成績の話題が出たら・・家族の話題では傷つく子がいるのではとどこかいつも躊躇したりびくびくしたりする自分がいた。それこそがこの場を安全な場と思えていないことであり、どこかで勝手にサイドを作ってしまっていることなのだと少しずつ気づいていく。今もびくびくしながら。
 そしてコノツギの会がかなり他のグループセラピーと違うのはココンダクターの存在である。通常ココンダクターは2~3名らしいと、あとでいろいろな人から教えてもらうことになるのだが、コノツギの会では最大でメンバーと同じくらい、7~10名程度のココンダクターが常に参加している。クリニックには心理系の大学生のバイト、大学院生のバイト、卒業してすぐの資格勉強中の若い人たちが毎曜日6名くらいはいる。その他に精神保健福祉士や小さいときから家族まるごと知っている受付担当が入ることもある。つまり中高生にとても近い年代の人たちがたくさん参加している。メンバーの子どもたちは誰がココンダクターなのかはっきりとわからない。現に隣のココンダクターに「何年生ですか?」「バイトなにしてるんですか?」とごく普通に聞いていることもある(これはかなりうらやましい)。大人なのか、青年年代なのか、正体がよくわからない、スタッフなのかそうでないのか、自分たちのことをよく知っている人なのか知らない人なのか、何をする人なのか確かめようがなく始まる。あやふやな存在、中間、間(ま)というものが一瞬にしてできているこの場。そこにいること。こんな場はどこにもなかなか作ろうとしても作れないなあと思っている。子どもたちは役割や答えがはっきりしている現実とは違う空間に身を置いて、少しずつ驚いたり同じだなあと思ったりしているのではないだろうか。ゲーム用語やSNS用語が飛び交う時間もあるが落ち込んでいるひまはないと悟った。案外黙っている子にぼそっと聞いてみると「知らない」「興味ない」とはっきり答える子たちもいる。また、そういう話題のときには私のほうを熱心に見てゆっくり話そうとする子もいてなんだかほっとさせられたり複雑な気持ちになったり。
 そしてレビューもまさにグループである。最近はグループのときの椅子をそのまま片付けずに自分たちの場所もそのままでレビューしてみることを試している。子どもたちの一つの言葉、何気ない仕草、わずかな表情から受け取るものがいかに人によって違うものであるか、そしてそう感じた自分という内面をこわごわ覗き込む時間でもある。
 文献や体験グループを紹介し合って学んでいこうとしている若い人たちに刺激を受けながら、今やっと私の中でグループ(のようなもの)が立ち上がりかけている。振り返れば、早くこの環境に慣れないとと思っていたが、今は慣れたくない、慣れたらアカンと強く思う。
 コノツギの会のコノツギ、子どもたちにとってのコノツギ、自分自身にとってのコノツギ・・・ふと「解放」や「希望」という言葉が頭の中をめぐる。

 その言葉を心に浮かべながら次へバトンを渡します!

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2025年1月

pdfファイルで読む →私の中でグループが立ち上がりかけている

2024年12月23日リレーコラム

「作業療法とグループとわたし」

小野塚美和

今回は作業療法士の視点から“グループの立ち上げ”について、書かせていただきます。

『ゆるカフェ』グループの誕生
 外来患者さんのグループの一つとして発達障がいの方を対象とした集団精神療法のグループをDr、CP、OTと協働して行っていましたが、その中でメンバーから「人と話すことは苦手だけど人と関わりたい」「一人が安心できるけど人がいる場所に継続して行ってみたい」などの声が上がっていました。自分の中で悶々と葛藤し続けている外来患者さんがいるということに改めて気づかされ、そんなグループを作ってみようと思ったきっかけで『ゆるカフェ』グループが誕生しました。
このグループは人と場を共有することが目的であり、やることは決めなくても良い、と銘打って始めましたが、もともと対人緊張が強い方々の集まりのため、グループが始まってもずっと沈黙が続き、スタッフにとっては苦しい時間でした。BGMの音楽だけが室内に響いている、という状況に耐えきれなくなった私を含むスタッフが話しかけたり、スタッフの中に美術講師がいたこともあり、絵を描いてみないかと勧めたり、スタッフが率先して絵を描いてみたり、と何とか場を繋ごうと必死になっていたのを覚えています。しかし、少しずつ場に慣れてくると、こちらが促した“作業”(ここでは、絵画や手芸など)に取り組んでくれる方が出てきました。一人二人が取り組みだすと自然と「じゃあ私も」とその輪は広がっていきます。

グループを通して再認識できたこと~これから
グループの終了時には参加者一人ずつ(もちろんスタッフも)感想を言うのですが、「話が少しできたので良かったです。また来ます」「ゆっくり過ごせました」と言う方、話す言葉が浮かばずに下を向いてしまう方、とさまざまな方法でその時々の気持ちを表現してくれました。一人一人のその表現にスタッフはとても大きな力をもらっていました。回を重ねるごとに毎週同じ顔ぶれが来ることの安心感、欠席が続いた後に参加した際に『久しぶり』と声をかけてくれるメンバーがいることの嬉しさ、などが次第にメンバー間に芽生えてきて、目に見えてグループが作り上げられていく様子をメンバーもスタッフも体験してきました。
 作業療法士であるがゆえに、どうしても“作業”をグループの中に入れてしまいたくなります。そもそも作業療法における“作業”とは何か?ですが、世界作業療法士連盟では『人が自分の文化で意味があり行うことのすべて』としています。これは単純に日常生活や仕事に関連する活動のみならず、ひとの暮らし(生活)における「ゆとり」や「うるおい」という意味においても大切な役割を果たしている¹⁾と山根は言っています。『ゆるカフェ』においてもこの考えは根源にあり、「ゆとり」や「うるおい」の多くは余暇活動から得られることが多く、余暇活動を通して対人交流を促す・・これこそが作業療法の醍醐味だ、と強く実感しています。
少し話がずれてしまいましたので、もとに戻しますが、グループの凝集性が高まってくると、良い事ばかりではなくそのグループの中でいざこざも起きます。メンバー同士のメールのやり取りで傷ついたとスタッフに相談してくるメンバー、グループの中で自分の悪口を言われているのではないかと相談してくるメンバーなどなど。グループが誕生して10年以上経過しても、メンバーが入れ替わろうとも、その時々で同じように起こる問題です。これらの問題に対して、私たちスタッフはグループで取り扱うことはせず、個別に対応してきました。なぜそうしてきたのか?それは、グループが揺れ動いていく様をメンバーと一緒に体験する怖さや恐れが自分の中にあったことが大きかったと思います。
グループの中ではスタッフも一人のメンバーとして、その時の感情を意識しながら今起こっている事象に向き合う、ということをもっと丁寧に行っていくことが大事だなと改めて感じています。生きていく中で人との交流を深めていくと必ず起こる相手とのすれ違い。それをグループの中で取り上げ考えていく中で、互いを尊重しながら相手も自分も大切にしていくことを経験していく、ことまでをもOTグループで実践できるよう私自身がもっと研鑽していかなければ、と思っています。
現代はコロナ禍を経てますますICT化が進み、人と人とが直接顔を合わさずとも生活が成り立つ時代になりました。そんな時代だからこそ、あえて人と人とが場を共有し多様な人がいることを認識し、グループを通して人の温かみが知れるようなグループを目指して、日々患者さんとともに“作業”を用いてグループしていこうと思っています。そのためには自分自身がおそれずに目の前にあることに向き合い、行動を起こすことからですね。Let’s Try!

引用文献
山根寛 (2015) ひとと作業・作業活動 作業の知をとき技を育む 新版 pp.24-30 三輪書店

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2024年12月

pdfファイルで読む → 「作業療法とグループとわたし」

リレーコラム

グループの立ち上げ

二之宮正人

 今回のリレーコラムは、トップに廣瀬さんの学校現場、2番の野村さんの「答えを急がず、感情を大切に」の次を承り、大変恐縮です。余談ですが、初回リレーコラムで、次は「サイコドラマで行こう」と藤堂宗継さんにお願いした経緯がありました。それからしばらくサイコドラマシリーズが続いて、興味深く拝見していました。

 さて、本題ですが、最初は、病棟やデイケアで、あるグループの立ち上がるまでというようなことを想定していました。しかし、過去を、考えれば考えるほど、失敗作だったのかな?なんて考え込むことに陥りました。理解してほしいことや、想定外の展開になっていったことなど、こんな説明や配慮が必要だったのでは?と。指導ではない、何でも話せる、皆対等で、対話的なグループが行えるにはどうしたら良いか?と悩んでいました。

 自分でも感じること、周囲の人らと話題になることがあります。(日本の)教育を受けた人は、先生(教壇)と生徒(座席)としての役割をよくやるのでしょうか。円になるではなく、いわゆるスクール形式(生徒たちは、黒板を背にする講師を見て、講師は教壇から、生徒達に向かって一方的に話すスタイル)になることが多いです。
 (治療)グループといいますが、ホワイトボードを背にスタッフが立ち、対面に座って向かい合う患者さんに説明、指導をしている。スタッフと患者とのコミュニケーションも講義か、質疑応答形式(Aさんの質問→講師の答え、Bさんの質問→講師の答え・・・)になりますね。一方向に流れてくる講義内容か、一対一のQ&Aを他の者は延々関与もすることがない、ただただ見ているという、そういう場面です。

 「話をする」ということの効果は、喜びや、達成感など、感情も変化し、主張、思考もまとまり言語化する力がアップします。「話す効果」は、たくさん機会を持つスタッフほど、だんだん話がうまくなるんでしょう(皮肉)。本来は、逆ですよね。患者さんにコミュニケーションの力や、言語化を上手くするという治療方針が出ている。でも、やっているのは、そういうことですね・・・。スタッフが一生懸命説明する(話している・・・)場面などよくありませんか?(矛盾?)

 スタッフがたくさん話すのではなく、患者さんの方にたくさん話してもらうことですね。池淵恵美(2019)は「精神障害リハビリテーション」の中で、統合失調症の患者さんは、認知的特徴と育ちから、自分を貶めるパターンに、陥る。そういう生きづらさがあると述べています。そのモードに陥っているスタッフ・患者がどれだけいるでしょうか?病棟内や、グループの構造や、コミュニケーションパターンを見て、貶める役のスタッフと、虐げられる役の患者さんというモードになっていると、どれだけの人が気づいているか?ということです。
 直接的な『症状』よりも、『生きづらさ』の方に困難があり、そこに扱う焦点が向けられたら良いということですが、いかがでしょう。
 「感情を大切に」(前回の野村さん)ですから、安全や信用のもと、話し合っていくことから始まると思います。「薬を飲みましょう、症状に対処しましょう」といった話は、分かっているのにわざわざ言われるので、言われる側は反発することになると思います。よく観察すると、過剰適応を示す、従順な態度を示していませんか。反動形成ですね。本音や気持ちは話せていないですね。
 鈴木純一(2023)より、「どうしたら患者さんたちは自由に話せるのか?」という話が、うつ病リワーク協会千葉大会シンポジウム教育講演にてありました。1960年代から続いていると言われる人権問題とも関連するでしょうか。我々スタッフは、薬を飲みましょうとか、症状に対処しましょうと言いますが、そうではなく「指摘⇔反発」を避け、患者さんの困っていることや、気持ち、その話を聞きましょう。聞いてそれから、「解釈したことを伝える」で良いのです。藤山直樹(2008)より(理由やその続きは著書「集中講義・精神分析(2008)」を参照…)。説明や説得は、医師の診察と薬剤師の説明で十分でしょう。
 あと、“Beyond the Therapeutic Community”(1968)の著者であるMaxwell Jonesは「講義の反応は殆どないのに、患者同士の話し合いや横のつながりが治療的に働いていることに気づいた」と藤岡淳子(編著)(2019)「治療共同体実践ガイド」に紹介されています。この発見(エビデンス?)がWWⅡ戦中・戦後ですよ。講義よりも、患者同士皆との話しの方が、治療効果がある。さて、これは、どういうことでしょう?

 また、グループというのは「魔物」でしょうか?いや「生き物」です。いろんなことが絡んでいて、不思議なことが起こります。感情が沈んだ、爆発した(○さんに向けて)。など、いろんなリスクを孕んでいます。グループをはじめるスタッフは、研修は受けておいた方が良いと思います。進め方や、起きていること、その理論などは文献も当たってみること。また、様々な精神療法家からスーパービジョンを受けるということは、なお良いと思います。研修なし文献なしの自己流・我流グループプログラムは避けた方が良いです。
 最近、組織について考えるようになりました。所属先では、これから児童思春期病棟関連の準備が始まりました。その中で、花澤寿(監訳)(2023)「治療共同体アプローチ」など文献を読んでいるわけですが、病棟の1つのグループにとどまらず、病棟や病院などの組織もグループとしての視点で見ていくことが必要で、組織のありようで、問題行動へのアプローチや、経過や結果など全ての人に影響があることがわかってきました。

 社会のあらゆる部門での問題行動、医療や福祉では、患者さんへの虐待問題、職員の離職問題などありますが、これらの問題に必然とされるアプローチ法であると思います。
 「ストレスの時代からトラウマの時代へ」と言われる今日、職員をケアし、大事にすること、そして、利用者、患者さんの生活のあらゆる事柄が治療的であると(問題行動だとレッテル貼り、懲罰ではなく)意味づけ解釈すること。この方法は、精神療法や、集団精神療法でもそうですが、トラウマインフォームドケアでも最近注目されています。野坂祐子(2019)「トラウマインフォームドケア”問題行動”を捉え直す援助の視点」も参照すると良いでしょう。その上にグループや日常業務が安全に遂行できているのではないでしょうか。スタッフ・組織の安全の上に、治療共同体、その上に業務や治療グループがある。この三階建てをうまく構築(苦労はありながらも)できている組織が求められる(安定する)と思います。
 このホームページは、一般公開ですので、医療や保健福祉に限らず、たくさんの方にご覧になっていただければ幸いです。

≪文献≫
 藤岡淳子編著(2019)治療共同体実践ガイド 金剛出版
 藤山直樹(2008)集中講義・精神分析 精神分析とは何か(上) 岩崎学術出版社
 池淵恵美(2019)心の回復を支える 精神障害リハビリテーション 医学書院
 Maxwell Jones(1968)Beyond the Therapeutic Community : Social Learning and Social Psychiatry 
 野坂祐子(2019)トラウマインフォームドケア ”問題行動”を捉え直す援助の視点 日本評論社
 鈴木純一(2023)うつ病リワーク協会千葉大会 抄録集 シンポジウム集団精神療法 教育講演 
 ウォード, A., カシンスキー, K., プーリー, J., & ワージントン, A.(編)、花澤寿(監訳)(2023)治療共同体アプローチ 岩崎学術出版社

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2024年11月

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リレーコラム

随想 -グループ立ち上げ、いまむかし-

野村学

 学生時代に「グループで自分を問い直し、広げる」ことに魅せられて以来、この方法をずっと自分の軸の一つとして心理職をやってきた。いま思うことをつれづれに書いてみたい。

 精神科の病棟でグループを始める時は、すでに興味を持っている仲間や上司がいるとか、それが院長や理事長だという特別な場合を除いて、どうグループをアピールするかが最初の仕事になる。話したり、食べたり呑んだりのお付き合いもしつつ、学会で発表したり、集団精神療法学会の年次大会や研修会に連れて行ったり(これはとても有効だったのでお勧めしたい)、あの手この手でグループを売り込んだ。時にはゲリラ的にいきなり現場でやってしまい、そのインパクトを訴えたこともある。(とはいえ裏の根回しは重要)

 グループが始まると表現や交流を通じて、私たちの中に明確化が起こり疑問が増える。患者さんの生気とスタッフの関心が増えて、病棟はちょっと騒がしくなるので、場合によっては面倒な事態と思われることもある。もう少し余白のある、悪くないタイミングなら、不思議なことにだんだんとグループが増えていく。または申し送りやOT活動がグループっぽくなっていく。こうして感染拡大したら最初のグループの運営も楽になってくる。うまくいくことは半分くらいだったが、3割よりは打ってきたと思う。

 ところがこのところちょっと変わってきた気がする。かつては設定すれば大体話し合いになった。何というか、着火すれば燃えたし、難産でも生まれれば育った。言いたいことはたくさんあるんだなあという実感が比較的すぐに得られていた。今は、自分をあまり開かないというか、リスクを冒さないのが基本的な姿勢だ。グループを動かすために背中を押し続けないといけないような感覚がある。

 例えばつい、イベントのMCのように場をリードしてしまうことがある。すると楽しく、一見活発に進めることができる。(どんどん上手になるので注意が必要)けれどもグループに本流のようなものができて、相互作用の自由度を狭めてしまう。患者さんの側からの別の話はなかなか出てこない。なので引っ張り過ぎないこと、フリートークの時間を大事にすること、複数のスタッフで行いレビュー(振り返り)をすることなどを心がけている。積み重ねれば少しずつグループが能動的になっていくように思う。

 もう一つ意識している注意は答えを急がないことだ。今どきは色々な理論・技法が進展または新生し、患者さんもスタッフもよく知っていて、専門用語が普通にやり取りされる。けれども概念は動きを止めてしまう面があって、怒りと哀しみ、憎しみとガッカリなど複雑な気持ちをキッパリと切り分ける性質がある。なのでその時その時のグループによるが、なるべくひとりひとりの素朴な語りや日常的なできごとをそのまま話し合うように心がけている。言うに言えないことをそれぞれ思う短い沈黙も、少し重たいけれど大事な時間だと思う。

 つまりは「ヨコの関係で」「感情を大切に」という、初学の頃に習ったグループの原則なのだが、今の方があの頃よりも意識して努力している気がするのはなぜだろう。手ごたえややりがいがありつつも、以前より疲れや「アウェー」感が増したように思う。私の個人的な事情(投影)もあるだろうが、今の時代の不適切と不愉快を嫌う空気の影響も大きいのではないか。どうにも思ったことを言いにくい…。オンライン技術の発展、感染予防も加わり、集まって話すことのそもそものモチベーションが全体に低下したように思う。

 私たちの目標や役割は変わっていくのだろうか。学校の仕事ではさらにそう感じる。我慢や強制をとにかくやめていく流れで(そりゃあそうだが)、分離教育・個別対応の人気がますます高くなっている。先日スクールカウンセリング先で「これからの社会性とコミュニケーション」について職員研修で話し合ってみた。先生方にはまあまあ好評だった。これからもいろんな意見を時間をかけて交流していきたい。どうやらそれだけでもないぞとか、そうかこれが肝心なことかといった体験を、これまでもたくさんグループでしてきた。

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2024年10月

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リレーコラム

学校現場におけるグループの立ち上げ

廣瀨真理

 スクールカウンセラー(以下SC)をしていると、相談室に複数人の生徒がまとまって来室して語り出し、殆ど自然発生的にグループが生まれることがあります。このように生徒達が持って来た“グループの種”をSCが一緒に育んだり見守ったりしながら、“図らずともグループが生まれる”というパターンを経験したSCは少なくないのではないでしょうか。一方で、今回のコラムのテーマである『グループの立ち上げ』を能動的に行うSCは少ないように感じます。年々相談件数が増えている中、SC自らグループの種を準備し、学校へ企画をプレゼンする等かなり能動的な働きかけが必要となるため、限られた勤務時間の中で実行に移すことが難しいことは容易に想像されます。

~それでもなぜ学校でグループを立ち上げたいのか~

 様々な葛藤がありましたが、それでも実行に移した理由は2つありました。1つ目は、個別のカウンセリングで定期的に不登校生徒達に会い続ける中で、「あの生徒とあの生徒が出会ったら、互いに得られるもの(SCとの2者関係では得られないもの)・学び・支え合い・成長がある」と思えたからです。また、情緒的に安定してきたけれど適応指導教室等には気が乗らない…という段階の生徒達にとって、次の一歩として踏み出しやすいとも考えました。2つ目はSCがグループを立ち上げる過程で、グループアプローチのエッセンスが校内全体にじわじわと浸透していくと良いなという期待があったからです。

~グループ初心者の脳内会議~

 前述の通り「グループを立ち上げたい!」というパッションがある反面、私の中で次のような脳内会議が繰り広げられていました。

 「グループの立ち上げをしたことがない私に、どの程度の技量があるのか?」

 「私の身の丈に合ったグループ運営ってどんなやり方?」

 「生徒にとって、グループに参加することのリスクとベネフィットは何?」

 「何らかのネガティブな事象が生じた場合、SCとしてどんなフォローが出来る?」

 「慎重に準備することは大切だけど、安心・安全・過保護にグループ運営しようとし過ぎることで参加者の体験の幅を狭め、それこそがネガティブな要因になる場合もあるのでは?」

 などなど…たくさん自問自答したり、ベテランSCに相談したりしました。自身の技量と向き合う中で、『学校でグループを立ち上げてもヨロシイ』という判定みたいなものを、いっそのこと誰かにして欲しいと思うこともありましたが、自分の技量を自分自身で真摯に見つめ、考え続ける時間は大切だったと感じます。そしてこの脳内会議の内容は、私が対応出来そうなグループの枠組みを考える際に大きく役立ちました。

~いざグループ企画を学校に提案~

 「せっかくなら企画を何とか通したい!」という感情が湧いてくるのが人のさが…。ですが、グループをすること自体は目的ではなく手段だと思い返し、「何のために私は学校の中でグループを立ち上げるのか?」と心の中で反芻しました。

 管理職から企画の承認を早々に得てしまうと、校内のいろいろな人の意見を取りこぼしてしまいそうな気がしたので、まずは出来るだけ率直な思いを言いやすい状況下で生徒や先生方の意見を聞くことから始めました。殆どは肯定的な反応でしたが、懸念点を伝えてくれた先生も居ました。例えば「悩みを持った不登校の生徒同士がグループで出会い、繋がることで、辛い気持ちを増幅し合ってしまうことはないだろうか」という趣旨の意見です。こうやって少し言いづらいことをアサーティブに伝えてくれることは有難く、グループ企画について再考しブラッシュアップする機会となりました。

 その後、校長先生に話を持っていき、感触が良かったため「実はもう企画書も作っていまして…」と直ぐさまプレゼンをして、校内の会議にかけて企画が通ったという流れでした。

~初心者の等身大の取り組み~

 もしかすると私の取り組みは慎重過ぎだったかもしれません。脳内会議の結果、グループへの参加条件をかなり厳しく設定したため、結局2人の生徒にしか声をかけられませんでした。企画書を作り、あらゆる先生に声をかけ、会議を通してグループの立ち上げをした訳ですが、最終的な私の最初の1歩はとてもとても小さいものでした。それでも、まずは無事にグループを立ち上げることが出来て、参加者のフィードバックが良かったことは嬉しかったですし、グループ企画を提案する過程でグループの持つ力を学校に発信する機会を得たことも良かったです。そして、校内にある通級指導教室でもグループ活動を導入出来ないかな?と話題に上がったことも嬉しい展開でした。

もし誰かに「グループの立ち上げって労力に見合っていたの?」と問われたら、「分からないけど、やって良かったのは確か!」と答えますね。

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2024年9月

※PDFファイルで読む →学校現場におけるグループの立ち上げ

リレーコラム

R6.9月より、リレーコラムをリニューアルします!

リレーコラムでは、これまで「集団精神療法の様々なかたち」をテーマに、アクションメソッド、メンタライゼーション、ダンスセラピー、SE、プレイセラピーについて、それぞれ現場でご活躍されている方々からご紹介いただきました。
いかがでしたでしょうか?

続きまして、R6.9月より、次回大会のテーマ「グループが生まれるとき」と連動して「グループの立ち上げ」をテーマに、新しいリレーコラムを実施することになりました。各領域で活躍されている方々に、集団精神療法だけにとどまらず、さまざまな新しい「グループの立ち上げ」について、体験談を執筆してもらいます。
グループを作ろうと思ったきっかけや、そのニーズや期待について、準備や開始に当たっての難しさや、その壁や落とし穴に、どのように向き合い乗り越えたのかなど、熱意や工夫、試行錯誤や失敗談を含めて、それぞれの現場の体験をシェアできればと考えました。ベテランの方々には当時を振り返るきっかけになるでしょうし、これから新しいグループを始めようと考えている方々には、参考や励ましになるのではないかと思います。

初回は広報委員のコラムからスタートする予定です。次のお声がかかりましたら、ぜひご協力をお願いいたします。
大会までの期間、どのようにバトンが繋がっていくのか楽しみです。

広報委員一同

2024年9月25日リレーコラム