2022年5月2日リレーコラム

相田さんへの質問とその回答

 

質問:シナリオ・ロールプレイについて教えてください。

――シナリオ・ロールプレイから、実に多くを学べた――

 

私が初めてシナリオ・ロールプレイに参加したのは、前号コラムにも記したJAGP第一回教育研修セミナー(1988年)での事例検討プログラムにおいてだった。私は入院患者対象の小さめなサイズのグループ・リーダー(当時の学会では多くの場合、治療者をそう呼んでいた)役を与えられた。プログラム終了直後、当のグループが行われている病院の看護スタッフたちから異口同音に「あなたは実際のリーダーにそっくりだった」と言われて、初学者の私はとてもびっくりした。相当苦労して参加の機会を得た研修会だったが、実はその体験が一番記憶に残っているくらいの大きな出来事であった。こうした不思議としか言いようのない現象をその後くり返し体験することになる。

 

私たち(というのは、やがてこういった研修の機会を作り出す側に回って協働作業をしたり、あるいは事例検討やグループ・スーパービジョンの場を共にしてきた、言わばトレーニー仲間だが)にとって、当初シナリオ・ロールプレイはケース・プレゼンテーションのひとつの方法であった。その後、それはグループを学ぶこと自体において極めて優れた側面を持っていると認識し直していった経緯がある。

 

ご存じではない方を想定してシナリオ・ロールプレイを説明しておこう。あるグループセッションの記録から、たとえばテープ起こしなどによって、参加者の逐語(に近似)の台本(=シナリオ)を作成する。この台本を用いて、台本中の各人の役を事例検討会などの参加メンバーに割りふった上で、それぞれのセリフを読み上げてもらう(=ロールプレイする)ことで、元々のセッションの擬似的再現を目指す。経験的には、シナリオ・ロールプレイに(たとえば沈黙し続けるメンバーとしてであっても)参加してみると、台本中のもともとの登場人物の体験(という想像)、ロールプレイしている自身のこの場での体験、それらを観察している自分の体験、などが立体的にない混じって(?)としか言いようのない恰好で得られる(ときに、幾分混乱もする)。こうして、グループというもの、グループにおける参加者(患者=メンバーであれ、治療者=スタッフであれ)としての体験、それに引き込まれた自身の体験、などへの認識、理解が生まれていくと言える。

 

こうも言えよう。シナリオ・ロールプレイによって描き出されるのは必ずしも過去の現実ではない。体験されるのは今ここに生まれているグループそのものである。が、シナリオが用意されているという枠の存在によって、初学者であっても安全が保障されている面がある。他方、具象的な事実とは異なるにしても治療者の〝クセ〟はその場に再現されやすいものだ。それ故、大きな学びの元となる。同時に各種諸体験のレビューによるフィードバックはお互いのグループ体験をさらに知る恰好な機会となっていくようだ。そんなところから、この方式をグループの研修場面で広く使うようになったのだった。

日本集団精神療法学会公式HPコラム No.4 2022年5月)

 

※PDFファイルで読む →相田さん(コラム2)

 

広報委員より

読者のみなさまからの質問・感想を募集しています。コラムに刺激を受けた方は、ぜひ会員ページにログインし、Googleフォームにご回答ください。