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リレーコラム

内的にも立ち上がるグループ

大橋良枝

谷さんから熱いバトンを受け取りました。しかし、受け取りたい気持ちが先走り、中身を考えずに引き受けてしまったので、何について書こうかなと後で悩みました。考えることのできるいい機会でした。そして、一つの連続したグループの立ち上げ体験を書くことに決めました。
私は、愛着発達上の課題を持つ子どもたちと教師集団の関係性の研究の経験から、母親を支えることに目が向き、母親支援、特に発達障害や知的障害のグレーゾーンにある子どもの母親が孤立しやすいという現象に思いを馳せ、そうした母親が孤立しないためのグループの立ち上げを考えるようになりました。障害グレーゾーンの子を持つ母親たちはまず、適切な相談場所を見つけるのに苦労します。病院は予約でいっぱいで、ようやく受診できても診断をつけるほどでもないと言われる。それでも支援を求めればたらい回しにされる。クラスでは同年代の子どもたちとうまく関われないし、少し変わった子だと遠巻きにされる我が子を見て胸を痛める。ママ友にも遠巻きにされている気がして被害的な気持ちが湧く。教師も、親のしつけの問題ではと思っているように感じる(実際に思われているケースも多々)。こうした経験から病院にも福祉にも教育にも不信感を強め、敵意すら抱く母親たちがたくさんいらっしゃいます。しかし、私は少ない経験から、そうやってグレーゾーンの子どもの今や将来に対して不安で不安で仕方がないという気持ちにリーチすることが本当に意味のあることだとも感じておりましたから、そうした母親に対して同質性のグループをできないかと考えておりました。
まず、私が当時所属していた大学の学内実習機関相談室に目をつけました。地域の障害グレーゾーンの子を持つ母親向けのグループをできないか、と。人が集まりそうならやったらいいじゃない、と室長から賛成してもらいました。ありがたいことです。
しかし、人が集まりそうなら・・・。そうです、どうやってそもそも支援に不信感を持っている人たちにリーチするのか?まず私は、地域の特別支援教室の教員や、学童や放課後等デイサービスで信頼関係を構築していた施設が数軒ありましたので、そちらに相談してみました。すると、紹介したいお母さんたちはいるけれど、自分たちがチラシを渡しても応募してくれるかどうかはわかりませんとのお返事。そうだろうなあ、と思いました。チラシを渡して応募してくれる人たちは、すでに施設に信頼感を持って頼れている人たちですもんね。そこで彼らと話し合い、手渡しではなく連絡帳にチラシを入れておく、さりげなく入り口辺りにチラシを貼っておくということになりました。そして、チラシに、「子育てで悩みを抱え、それを誰にも語れなくなると、どんどん周りが敵に見える、ということが心理学的に起きる」「同じ思いを抱く母親たちと、日常から離れて話し、耳を傾ける時間を持ちませんか」と、目立つようにハッキリ書きました。私が届けたい相手を想像しながら、彼らはどういった言葉を目にしたら関心を向けてくれるだろう、と考え、施設の方々にも相談しながら。
そうして8名の方がご連絡をくださいました。驚きでしたし、嬉しかった。彼らに無料の事前面談を行いました。お仕事の都合や家族の都合などもあり、個人療法として相談室につながった人もおりましたが、結果グループが適していると思われた方は3名。ですから、もともと相談室にいらした方もお誘いして何とかグループが成立したという状況でした。実のところ少し枠を広げて、女性のためのグループ、として成立したのですけれど、それはそれで意味があるものとなったようでした。このグループはメンバーの入れ替わりなどもありつつ、私が退任した後も続いているようです。
そして今、所属の大学が変わり、すでに20年続いているという、発達グレーゾーンの子どもたちが多く集まる子どものアクティビティグループの顧問に名を連ねることになりました。そのグループの中心メンバーは子どもたちですが、私のこうした経験を知った元の顧問の先生が、来ているこどもたちの母親グループをやったらどうかと仰ってくださり、そのように始めることにしました。1年クールのグループですが、「味方になってくださってありがとうございました」と涙をこぼされる方もいらして、いかに彼らが普段孤独であるかをビビッドに体験させられました。
前任校では構造を立ち上げるために、事務的なことや内外への交渉などいろいろ走り回りました。私がグループの立ち上げという言葉を聞くと、まず浮かぶのはこうした現実的な諸々の壁を突破し、グループのための安定した構造を作ることです。しかし、今回の経験から、関東から近畿に移って、物理的な構造は確かに違うのだけれども、関東で立ち上げたものの続きとして今のグループがあるようにも感じます。これは私の内的構造を通しての体験でしょうけれど、おそらくこの構造は新たに私が入って、母親グループを始めたときに何らかの安全感をもたらすものとして寄与していたんだろうと思います。
さて、次のバトンを誰に渡そうかいろいろな人が浮かびましたが、本当にいろいろな組織や会を立ち上げてマネージしている熱い同世代の方にお願いすることを決めました(リレーエッセイに名を連ねてもらうことで、もっともっと集団学会でも頑張ってもらいたい!という願いも込めて!)。楽しみにしています!

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2025年3月

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リレーコラム

共に、“立ち上がる”

谷麻衣子

長尾さんからの大事な“コノツギ”を受け取って、私の2025年は始まりました。

私にとっての“立ち上げ”は「移転」そして「異動」というキーワードから始まります。数年前のX年4月、職場の(小児心療科の)“移転”により、人生で初めて“異動”というものを経験しました。そして、新たに異動先で“立ち上がった”、「小児心療科・児童精神科の子どもたちが通う)院内学級」の担当心理士になりました。「何それ?(何をする仕事なの?)」と思われるでしょうか。私も最初は「何ができるのか?」という問いから始まりました。本日はその中での気づきや学びを書かせていただこうと思います。

私は新たに“立ち上がった”院内学級へ、私はX年12月から週1日、集団観察のために訪問するようになりました。当然ながら病棟でも、院内学級でも、日々様々なことが起こります。私は何をどこから考えていくとよいのだろうかと悩みながら、ビオンのグループ理論の文献や話題となった『愛着障害児とのつきあい方(大橋,2019)』を読みふけっていました。そのおかげで、私が置かれている組織(病院側)も、院内学級も、“立ち上がりたて”ゆえに、様々なところで不安や混乱が吹き出しやすく、スプリット(分裂、対立)やスケープゴートが生じやすい状況になっているのではという視点を得ることができました。そこから集団精神療法を勉強するご縁を頂き、今に至ります。
並行して、トラウマを持った人たちに安心・安全を与えるには支援者の安心・安全が大事であるというトラウマ・インフォームドケアの概念も自分に響きました。トラウマ・インフォームドケアの話題はこのリレーコラムのNo.3、二宮さんのところですでに出ています。その中の「スタッフ・組織の安全の上に、治療共同体、その上に業務や治療グループがある。この三階建てをうまく構築(苦労はありながらも)できている組織が求められる(安定する)と思います」という一文に、何度も頷きました。このトラウマ・インフォームドケアの学校版について詳しく書かれている『学校トラウマの実際と対応―児童・生徒への支援と理解(藤森,2020)』は、院内学級にも自己紹介がてらお伝えしています。
逆に、院内学級の先生方から読んでいる書籍・使っている教材などを教えていただく機会や、立ち話でちょっとしたことを教えてもらうことも多々あります。その「ちょっとしたこと」が私にたくさんの気づきと学びを与えてくれました。医療の中にいるだけでは見えなかった院内学級を取り巻く構造、病棟と違う学校だからこその強みややりがい、そして難しさ…個々の病院・学校単位では何ともしがたいこともあり、子どもたちのために “みんなで知り、考えていく必要があるのでは”という思いも浮かびます。
一方で、院内学級の担当心理士としては自分が置かれた組織(病院)の中で、院内学級と協働の視点をいかに持ってもらうかということも意識するようになりました。子どもの精神科入院治療においては、院内学級の先生方はもちろん、院内でも主治医、看護師、コメディカルとすでにたくさんの人が関わっています。さらに病棟関係の心理士も複数人いるため、院内学級担当心理士はチーム医療の辺境にいるような感覚が日常です。しかし、だからこそ院内学級と病院ではお互いに何が見えにくく、どんな情報や意見を共有できると協働しやすいのかに考えを巡らせることも増えていきました。こうした視点で生まれたアイデアを何かある度に組織に共有していると、ある日ふと『この情報を院内学級にも共有しよう』『この話し合いには院内学級の先生方にも来ていただこう』という流れが生まれることもあり、個人レベルでは決してなしえない、“集団(組織)の力”を感じています。
そんな中で、現在の課題は“考え続ける”ことです。新しい患者さんとの出逢いも、新たな治療の契機も、凪のような日々の後、ふとしたときにやってきます。『“立ち上げ”からの数年間、集団観察の中で感じた、子どもたちのちょっとした変化や違和感は水面下で起こっている何かとちゃんとリンクしていた、あの経験を思い出せ』と自分に言い聞かせながら、3学期に臨み始めました。

こうして書いていくと、私自身も集団と共に(そして、支えられ)“立ち上がってきた”のだと思います。そして、3月の集団精神療法学会も先日申し込みを済ませたところです。学会に参加しながら“考え続ける”ことを大事に、たくさんの気づきや学びを得ていきたいと思います。
そして、私に“集団の力”と“考え続ける”大事さを教えてくださった方へ、次のバトンをお渡ししたいと思います。

≪参考文献≫
大橋良枝(2019) 愛着障害児とのつきあい方―特別支援学校教員チームとの実践
藤森和美(2020) 学校トラウマの実際と対応―児童・生徒への支援と理解

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2025年2月

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リレーコラム

私の中でグループが立ち上がりかけている

長尾直子

Let’s Try!
前回12月のコラム担当小野塚さんからぐーっと背中を押してもらってなんとか書きます。

 グループは不思議だ。机も何もなく、まるごしの自分が中心を向いて座ることから始まる。どこを見たらよいのか、どういう姿勢で座るべきか、長く習ってきてそれなりに自分のスタイルがかたまってきたと思っていた個人の一対一の場での心理療法とは違うところばかり。早くこの環境に慣れていきたいと思っていた。話す側聴く側、教える側教えられる側というサイドがはっきりする場ではない、サイドのない空間。円なのだから当然と言えば当然か。閉じられた円は一周するようなイメージや内へ吸い込まれるようなイメージ、外の世界との遮断のイメージも浮かぶ。

 私が立ち上げに関わったのは街中の小さなクリニックの思春期グループ「コノツギの会」だけなので、そのことを書きます。

 対象は中高生年齢、クリニックを受診している子どもたち、定員15名で完全予約制。1回45分。「コノツギの会」という不思議な名前は小学生まではプレイセラピーがあり、その次の年代でのセラピーがなかったために院長が命名。週一回のペースで開かれているが、曜日が重ならないのと、希望者が多くなかなか予約が取れないので、毎回のメンバーはかなり変化がある。コンダクターが初めに約束事を伝える。「時間の枠を守る、何を話してもいい、聞いているだけでもいい、秘密は守る、先生と呼ばない。」子どもたちの背景は様々である。公立校、私立校、支援学級、支援学校、高専、通信制、定時制、フリースクール、アルバイト、寮生活、母子寮・・・。
 最初の頃、ココンダクターとしてどうふるまえばよいのかわからないまま不安になり、院長に尋ねたら一言「素になって」と言われた。「そうか、素になるってなんだか久しぶりに聞いた言葉・・」「私服に着替えるし、心理士でないようにふるまえばよいのだな」といったんはイメージできて参加。しかしこの年代になって自分はなんとまあいろいろなものを上に上にかぶせてしまっていることか、ということに直面していく。しかも心理スタッフ、ココンダクターとしての返答や振る舞いが他のスタッフにも見られている、ということへの意識、それがもうすでに素ではない・・・。名前を聞いても答えない子、外国籍の子、年齢も性別もはっきりとわかりにくい子。学校の話題が出たら・・成績の話題が出たら・・家族の話題では傷つく子がいるのではとどこかいつも躊躇したりびくびくしたりする自分がいた。それこそがこの場を安全な場と思えていないことであり、どこかで勝手にサイドを作ってしまっていることなのだと少しずつ気づいていく。今もびくびくしながら。
 そしてコノツギの会がかなり他のグループセラピーと違うのはココンダクターの存在である。通常ココンダクターは2~3名らしいと、あとでいろいろな人から教えてもらうことになるのだが、コノツギの会では最大でメンバーと同じくらい、7~10名程度のココンダクターが常に参加している。クリニックには心理系の大学生のバイト、大学院生のバイト、卒業してすぐの資格勉強中の若い人たちが毎曜日6名くらいはいる。その他に精神保健福祉士や小さいときから家族まるごと知っている受付担当が入ることもある。つまり中高生にとても近い年代の人たちがたくさん参加している。メンバーの子どもたちは誰がココンダクターなのかはっきりとわからない。現に隣のココンダクターに「何年生ですか?」「バイトなにしてるんですか?」とごく普通に聞いていることもある(これはかなりうらやましい)。大人なのか、青年年代なのか、正体がよくわからない、スタッフなのかそうでないのか、自分たちのことをよく知っている人なのか知らない人なのか、何をする人なのか確かめようがなく始まる。あやふやな存在、中間、間(ま)というものが一瞬にしてできているこの場。そこにいること。こんな場はどこにもなかなか作ろうとしても作れないなあと思っている。子どもたちは役割や答えがはっきりしている現実とは違う空間に身を置いて、少しずつ驚いたり同じだなあと思ったりしているのではないだろうか。ゲーム用語やSNS用語が飛び交う時間もあるが落ち込んでいるひまはないと悟った。案外黙っている子にぼそっと聞いてみると「知らない」「興味ない」とはっきり答える子たちもいる。また、そういう話題のときには私のほうを熱心に見てゆっくり話そうとする子もいてなんだかほっとさせられたり複雑な気持ちになったり。
 そしてレビューもまさにグループである。最近はグループのときの椅子をそのまま片付けずに自分たちの場所もそのままでレビューしてみることを試している。子どもたちの一つの言葉、何気ない仕草、わずかな表情から受け取るものがいかに人によって違うものであるか、そしてそう感じた自分という内面をこわごわ覗き込む時間でもある。
 文献や体験グループを紹介し合って学んでいこうとしている若い人たちに刺激を受けながら、今やっと私の中でグループ(のようなもの)が立ち上がりかけている。振り返れば、早くこの環境に慣れないとと思っていたが、今は慣れたくない、慣れたらアカンと強く思う。
 コノツギの会のコノツギ、子どもたちにとってのコノツギ、自分自身にとってのコノツギ・・・ふと「解放」や「希望」という言葉が頭の中をめぐる。

 その言葉を心に浮かべながら次へバトンを渡します!

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2025年1月

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2024年12月23日リレーコラム

「作業療法とグループとわたし」

小野塚美和

今回は作業療法士の視点から“グループの立ち上げ”について、書かせていただきます。

『ゆるカフェ』グループの誕生
 外来患者さんのグループの一つとして発達障がいの方を対象とした集団精神療法のグループをDr、CP、OTと協働して行っていましたが、その中でメンバーから「人と話すことは苦手だけど人と関わりたい」「一人が安心できるけど人がいる場所に継続して行ってみたい」などの声が上がっていました。自分の中で悶々と葛藤し続けている外来患者さんがいるということに改めて気づかされ、そんなグループを作ってみようと思ったきっかけで『ゆるカフェ』グループが誕生しました。
このグループは人と場を共有することが目的であり、やることは決めなくても良い、と銘打って始めましたが、もともと対人緊張が強い方々の集まりのため、グループが始まってもずっと沈黙が続き、スタッフにとっては苦しい時間でした。BGMの音楽だけが室内に響いている、という状況に耐えきれなくなった私を含むスタッフが話しかけたり、スタッフの中に美術講師がいたこともあり、絵を描いてみないかと勧めたり、スタッフが率先して絵を描いてみたり、と何とか場を繋ごうと必死になっていたのを覚えています。しかし、少しずつ場に慣れてくると、こちらが促した“作業”(ここでは、絵画や手芸など)に取り組んでくれる方が出てきました。一人二人が取り組みだすと自然と「じゃあ私も」とその輪は広がっていきます。

グループを通して再認識できたこと~これから
グループの終了時には参加者一人ずつ(もちろんスタッフも)感想を言うのですが、「話が少しできたので良かったです。また来ます」「ゆっくり過ごせました」と言う方、話す言葉が浮かばずに下を向いてしまう方、とさまざまな方法でその時々の気持ちを表現してくれました。一人一人のその表現にスタッフはとても大きな力をもらっていました。回を重ねるごとに毎週同じ顔ぶれが来ることの安心感、欠席が続いた後に参加した際に『久しぶり』と声をかけてくれるメンバーがいることの嬉しさ、などが次第にメンバー間に芽生えてきて、目に見えてグループが作り上げられていく様子をメンバーもスタッフも体験してきました。
 作業療法士であるがゆえに、どうしても“作業”をグループの中に入れてしまいたくなります。そもそも作業療法における“作業”とは何か?ですが、世界作業療法士連盟では『人が自分の文化で意味があり行うことのすべて』としています。これは単純に日常生活や仕事に関連する活動のみならず、ひとの暮らし(生活)における「ゆとり」や「うるおい」という意味においても大切な役割を果たしている¹⁾と山根は言っています。『ゆるカフェ』においてもこの考えは根源にあり、「ゆとり」や「うるおい」の多くは余暇活動から得られることが多く、余暇活動を通して対人交流を促す・・これこそが作業療法の醍醐味だ、と強く実感しています。
少し話がずれてしまいましたので、もとに戻しますが、グループの凝集性が高まってくると、良い事ばかりではなくそのグループの中でいざこざも起きます。メンバー同士のメールのやり取りで傷ついたとスタッフに相談してくるメンバー、グループの中で自分の悪口を言われているのではないかと相談してくるメンバーなどなど。グループが誕生して10年以上経過しても、メンバーが入れ替わろうとも、その時々で同じように起こる問題です。これらの問題に対して、私たちスタッフはグループで取り扱うことはせず、個別に対応してきました。なぜそうしてきたのか?それは、グループが揺れ動いていく様をメンバーと一緒に体験する怖さや恐れが自分の中にあったことが大きかったと思います。
グループの中ではスタッフも一人のメンバーとして、その時の感情を意識しながら今起こっている事象に向き合う、ということをもっと丁寧に行っていくことが大事だなと改めて感じています。生きていく中で人との交流を深めていくと必ず起こる相手とのすれ違い。それをグループの中で取り上げ考えていく中で、互いを尊重しながら相手も自分も大切にしていくことを経験していく、ことまでをもOTグループで実践できるよう私自身がもっと研鑽していかなければ、と思っています。
現代はコロナ禍を経てますますICT化が進み、人と人とが直接顔を合わさずとも生活が成り立つ時代になりました。そんな時代だからこそ、あえて人と人とが場を共有し多様な人がいることを認識し、グループを通して人の温かみが知れるようなグループを目指して、日々患者さんとともに“作業”を用いてグループしていこうと思っています。そのためには自分自身がおそれずに目の前にあることに向き合い、行動を起こすことからですね。Let’s Try!

引用文献
山根寛 (2015) ひとと作業・作業活動 作業の知をとき技を育む 新版 pp.24-30 三輪書店

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2024年12月

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リレーコラム

グループの立ち上げ

二之宮正人

 今回のリレーコラムは、トップに廣瀬さんの学校現場、2番の野村さんの「答えを急がず、感情を大切に」の次を承り、大変恐縮です。余談ですが、初回リレーコラムで、次は「サイコドラマで行こう」と藤堂宗継さんにお願いした経緯がありました。それからしばらくサイコドラマシリーズが続いて、興味深く拝見していました。

 さて、本題ですが、最初は、病棟やデイケアで、あるグループの立ち上がるまでというようなことを想定していました。しかし、過去を、考えれば考えるほど、失敗作だったのかな?なんて考え込むことに陥りました。理解してほしいことや、想定外の展開になっていったことなど、こんな説明や配慮が必要だったのでは?と。指導ではない、何でも話せる、皆対等で、対話的なグループが行えるにはどうしたら良いか?と悩んでいました。

 自分でも感じること、周囲の人らと話題になることがあります。(日本の)教育を受けた人は、先生(教壇)と生徒(座席)としての役割をよくやるのでしょうか。円になるではなく、いわゆるスクール形式(生徒たちは、黒板を背にする講師を見て、講師は教壇から、生徒達に向かって一方的に話すスタイル)になることが多いです。
 (治療)グループといいますが、ホワイトボードを背にスタッフが立ち、対面に座って向かい合う患者さんに説明、指導をしている。スタッフと患者とのコミュニケーションも講義か、質疑応答形式(Aさんの質問→講師の答え、Bさんの質問→講師の答え・・・)になりますね。一方向に流れてくる講義内容か、一対一のQ&Aを他の者は延々関与もすることがない、ただただ見ているという、そういう場面です。

 「話をする」ということの効果は、喜びや、達成感など、感情も変化し、主張、思考もまとまり言語化する力がアップします。「話す効果」は、たくさん機会を持つスタッフほど、だんだん話がうまくなるんでしょう(皮肉)。本来は、逆ですよね。患者さんにコミュニケーションの力や、言語化を上手くするという治療方針が出ている。でも、やっているのは、そういうことですね・・・。スタッフが一生懸命説明する(話している・・・)場面などよくありませんか?(矛盾?)

 スタッフがたくさん話すのではなく、患者さんの方にたくさん話してもらうことですね。池淵恵美(2019)は「精神障害リハビリテーション」の中で、統合失調症の患者さんは、認知的特徴と育ちから、自分を貶めるパターンに、陥る。そういう生きづらさがあると述べています。そのモードに陥っているスタッフ・患者がどれだけいるでしょうか?病棟内や、グループの構造や、コミュニケーションパターンを見て、貶める役のスタッフと、虐げられる役の患者さんというモードになっていると、どれだけの人が気づいているか?ということです。
 直接的な『症状』よりも、『生きづらさ』の方に困難があり、そこに扱う焦点が向けられたら良いということですが、いかがでしょう。
 「感情を大切に」(前回の野村さん)ですから、安全や信用のもと、話し合っていくことから始まると思います。「薬を飲みましょう、症状に対処しましょう」といった話は、分かっているのにわざわざ言われるので、言われる側は反発することになると思います。よく観察すると、過剰適応を示す、従順な態度を示していませんか。反動形成ですね。本音や気持ちは話せていないですね。
 鈴木純一(2023)より、「どうしたら患者さんたちは自由に話せるのか?」という話が、うつ病リワーク協会千葉大会シンポジウム教育講演にてありました。1960年代から続いていると言われる人権問題とも関連するでしょうか。我々スタッフは、薬を飲みましょうとか、症状に対処しましょうと言いますが、そうではなく「指摘⇔反発」を避け、患者さんの困っていることや、気持ち、その話を聞きましょう。聞いてそれから、「解釈したことを伝える」で良いのです。藤山直樹(2008)より(理由やその続きは著書「集中講義・精神分析(2008)」を参照…)。説明や説得は、医師の診察と薬剤師の説明で十分でしょう。
 あと、“Beyond the Therapeutic Community”(1968)の著者であるMaxwell Jonesは「講義の反応は殆どないのに、患者同士の話し合いや横のつながりが治療的に働いていることに気づいた」と藤岡淳子(編著)(2019)「治療共同体実践ガイド」に紹介されています。この発見(エビデンス?)がWWⅡ戦中・戦後ですよ。講義よりも、患者同士皆との話しの方が、治療効果がある。さて、これは、どういうことでしょう?

 また、グループというのは「魔物」でしょうか?いや「生き物」です。いろんなことが絡んでいて、不思議なことが起こります。感情が沈んだ、爆発した(○さんに向けて)。など、いろんなリスクを孕んでいます。グループをはじめるスタッフは、研修は受けておいた方が良いと思います。進め方や、起きていること、その理論などは文献も当たってみること。また、様々な精神療法家からスーパービジョンを受けるということは、なお良いと思います。研修なし文献なしの自己流・我流グループプログラムは避けた方が良いです。
 最近、組織について考えるようになりました。所属先では、これから児童思春期病棟関連の準備が始まりました。その中で、花澤寿(監訳)(2023)「治療共同体アプローチ」など文献を読んでいるわけですが、病棟の1つのグループにとどまらず、病棟や病院などの組織もグループとしての視点で見ていくことが必要で、組織のありようで、問題行動へのアプローチや、経過や結果など全ての人に影響があることがわかってきました。

 社会のあらゆる部門での問題行動、医療や福祉では、患者さんへの虐待問題、職員の離職問題などありますが、これらの問題に必然とされるアプローチ法であると思います。
 「ストレスの時代からトラウマの時代へ」と言われる今日、職員をケアし、大事にすること、そして、利用者、患者さんの生活のあらゆる事柄が治療的であると(問題行動だとレッテル貼り、懲罰ではなく)意味づけ解釈すること。この方法は、精神療法や、集団精神療法でもそうですが、トラウマインフォームドケアでも最近注目されています。野坂祐子(2019)「トラウマインフォームドケア”問題行動”を捉え直す援助の視点」も参照すると良いでしょう。その上にグループや日常業務が安全に遂行できているのではないでしょうか。スタッフ・組織の安全の上に、治療共同体、その上に業務や治療グループがある。この三階建てをうまく構築(苦労はありながらも)できている組織が求められる(安定する)と思います。
 このホームページは、一般公開ですので、医療や保健福祉に限らず、たくさんの方にご覧になっていただければ幸いです。

≪文献≫
 藤岡淳子編著(2019)治療共同体実践ガイド 金剛出版
 藤山直樹(2008)集中講義・精神分析 精神分析とは何か(上) 岩崎学術出版社
 池淵恵美(2019)心の回復を支える 精神障害リハビリテーション 医学書院
 Maxwell Jones(1968)Beyond the Therapeutic Community : Social Learning and Social Psychiatry 
 野坂祐子(2019)トラウマインフォームドケア ”問題行動”を捉え直す援助の視点 日本評論社
 鈴木純一(2023)うつ病リワーク協会千葉大会 抄録集 シンポジウム集団精神療法 教育講演 
 ウォード, A., カシンスキー, K., プーリー, J., & ワージントン, A.(編)、花澤寿(監訳)(2023)治療共同体アプローチ 岩崎学術出版社

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2024年11月

※PDFファイルで読む → グループの立ち上げ

リレーコラム

随想 -グループ立ち上げ、いまむかし-

野村学

 学生時代に「グループで自分を問い直し、広げる」ことに魅せられて以来、この方法をずっと自分の軸の一つとして心理職をやってきた。いま思うことをつれづれに書いてみたい。

 精神科の病棟でグループを始める時は、すでに興味を持っている仲間や上司がいるとか、それが院長や理事長だという特別な場合を除いて、どうグループをアピールするかが最初の仕事になる。話したり、食べたり呑んだりのお付き合いもしつつ、学会で発表したり、集団精神療法学会の年次大会や研修会に連れて行ったり(これはとても有効だったのでお勧めしたい)、あの手この手でグループを売り込んだ。時にはゲリラ的にいきなり現場でやってしまい、そのインパクトを訴えたこともある。(とはいえ裏の根回しは重要)

 グループが始まると表現や交流を通じて、私たちの中に明確化が起こり疑問が増える。患者さんの生気とスタッフの関心が増えて、病棟はちょっと騒がしくなるので、場合によっては面倒な事態と思われることもある。もう少し余白のある、悪くないタイミングなら、不思議なことにだんだんとグループが増えていく。または申し送りやOT活動がグループっぽくなっていく。こうして感染拡大したら最初のグループの運営も楽になってくる。うまくいくことは半分くらいだったが、3割よりは打ってきたと思う。

 ところがこのところちょっと変わってきた気がする。かつては設定すれば大体話し合いになった。何というか、着火すれば燃えたし、難産でも生まれれば育った。言いたいことはたくさんあるんだなあという実感が比較的すぐに得られていた。今は、自分をあまり開かないというか、リスクを冒さないのが基本的な姿勢だ。グループを動かすために背中を押し続けないといけないような感覚がある。

 例えばつい、イベントのMCのように場をリードしてしまうことがある。すると楽しく、一見活発に進めることができる。(どんどん上手になるので注意が必要)けれどもグループに本流のようなものができて、相互作用の自由度を狭めてしまう。患者さんの側からの別の話はなかなか出てこない。なので引っ張り過ぎないこと、フリートークの時間を大事にすること、複数のスタッフで行いレビュー(振り返り)をすることなどを心がけている。積み重ねれば少しずつグループが能動的になっていくように思う。

 もう一つ意識している注意は答えを急がないことだ。今どきは色々な理論・技法が進展または新生し、患者さんもスタッフもよく知っていて、専門用語が普通にやり取りされる。けれども概念は動きを止めてしまう面があって、怒りと哀しみ、憎しみとガッカリなど複雑な気持ちをキッパリと切り分ける性質がある。なのでその時その時のグループによるが、なるべくひとりひとりの素朴な語りや日常的なできごとをそのまま話し合うように心がけている。言うに言えないことをそれぞれ思う短い沈黙も、少し重たいけれど大事な時間だと思う。

 つまりは「ヨコの関係で」「感情を大切に」という、初学の頃に習ったグループの原則なのだが、今の方があの頃よりも意識して努力している気がするのはなぜだろう。手ごたえややりがいがありつつも、以前より疲れや「アウェー」感が増したように思う。私の個人的な事情(投影)もあるだろうが、今の時代の不適切と不愉快を嫌う空気の影響も大きいのではないか。どうにも思ったことを言いにくい…。オンライン技術の発展、感染予防も加わり、集まって話すことのそもそものモチベーションが全体に低下したように思う。

 私たちの目標や役割は変わっていくのだろうか。学校の仕事ではさらにそう感じる。我慢や強制をとにかくやめていく流れで(そりゃあそうだが)、分離教育・個別対応の人気がますます高くなっている。先日スクールカウンセリング先で「これからの社会性とコミュニケーション」について職員研修で話し合ってみた。先生方にはまあまあ好評だった。これからもいろんな意見を時間をかけて交流していきたい。どうやらそれだけでもないぞとか、そうかこれが肝心なことかといった体験を、これまでもたくさんグループでしてきた。

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2024年10月

※PDFファイルで読む →随想 -グループ立ち上げ、いまむかし-

リレーコラム

学校現場におけるグループの立ち上げ

廣瀨真理

 スクールカウンセラー(以下SC)をしていると、相談室に複数人の生徒がまとまって来室して語り出し、殆ど自然発生的にグループが生まれることがあります。このように生徒達が持って来た“グループの種”をSCが一緒に育んだり見守ったりしながら、“図らずともグループが生まれる”というパターンを経験したSCは少なくないのではないでしょうか。一方で、今回のコラムのテーマである『グループの立ち上げ』を能動的に行うSCは少ないように感じます。年々相談件数が増えている中、SC自らグループの種を準備し、学校へ企画をプレゼンする等かなり能動的な働きかけが必要となるため、限られた勤務時間の中で実行に移すことが難しいことは容易に想像されます。

~それでもなぜ学校でグループを立ち上げたいのか~

 様々な葛藤がありましたが、それでも実行に移した理由は2つありました。1つ目は、個別のカウンセリングで定期的に不登校生徒達に会い続ける中で、「あの生徒とあの生徒が出会ったら、互いに得られるもの(SCとの2者関係では得られないもの)・学び・支え合い・成長がある」と思えたからです。また、情緒的に安定してきたけれど適応指導教室等には気が乗らない…という段階の生徒達にとって、次の一歩として踏み出しやすいとも考えました。2つ目はSCがグループを立ち上げる過程で、グループアプローチのエッセンスが校内全体にじわじわと浸透していくと良いなという期待があったからです。

~グループ初心者の脳内会議~

 前述の通り「グループを立ち上げたい!」というパッションがある反面、私の中で次のような脳内会議が繰り広げられていました。

 「グループの立ち上げをしたことがない私に、どの程度の技量があるのか?」

 「私の身の丈に合ったグループ運営ってどんなやり方?」

 「生徒にとって、グループに参加することのリスクとベネフィットは何?」

 「何らかのネガティブな事象が生じた場合、SCとしてどんなフォローが出来る?」

 「慎重に準備することは大切だけど、安心・安全・過保護にグループ運営しようとし過ぎることで参加者の体験の幅を狭め、それこそがネガティブな要因になる場合もあるのでは?」

 などなど…たくさん自問自答したり、ベテランSCに相談したりしました。自身の技量と向き合う中で、『学校でグループを立ち上げてもヨロシイ』という判定みたいなものを、いっそのこと誰かにして欲しいと思うこともありましたが、自分の技量を自分自身で真摯に見つめ、考え続ける時間は大切だったと感じます。そしてこの脳内会議の内容は、私が対応出来そうなグループの枠組みを考える際に大きく役立ちました。

~いざグループ企画を学校に提案~

 「せっかくなら企画を何とか通したい!」という感情が湧いてくるのが人のさが…。ですが、グループをすること自体は目的ではなく手段だと思い返し、「何のために私は学校の中でグループを立ち上げるのか?」と心の中で反芻しました。

 管理職から企画の承認を早々に得てしまうと、校内のいろいろな人の意見を取りこぼしてしまいそうな気がしたので、まずは出来るだけ率直な思いを言いやすい状況下で生徒や先生方の意見を聞くことから始めました。殆どは肯定的な反応でしたが、懸念点を伝えてくれた先生も居ました。例えば「悩みを持った不登校の生徒同士がグループで出会い、繋がることで、辛い気持ちを増幅し合ってしまうことはないだろうか」という趣旨の意見です。こうやって少し言いづらいことをアサーティブに伝えてくれることは有難く、グループ企画について再考しブラッシュアップする機会となりました。

 その後、校長先生に話を持っていき、感触が良かったため「実はもう企画書も作っていまして…」と直ぐさまプレゼンをして、校内の会議にかけて企画が通ったという流れでした。

~初心者の等身大の取り組み~

 もしかすると私の取り組みは慎重過ぎだったかもしれません。脳内会議の結果、グループへの参加条件をかなり厳しく設定したため、結局2人の生徒にしか声をかけられませんでした。企画書を作り、あらゆる先生に声をかけ、会議を通してグループの立ち上げをした訳ですが、最終的な私の最初の1歩はとてもとても小さいものでした。それでも、まずは無事にグループを立ち上げることが出来て、参加者のフィードバックが良かったことは嬉しかったですし、グループ企画を提案する過程でグループの持つ力を学校に発信する機会を得たことも良かったです。そして、校内にある通級指導教室でもグループ活動を導入出来ないかな?と話題に上がったことも嬉しい展開でした。

もし誰かに「グループの立ち上げって労力に見合っていたの?」と問われたら、「分からないけど、やって良かったのは確か!」と答えますね。

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2024年9月

※PDFファイルで読む →学校現場におけるグループの立ち上げ

リレーコラム

R6.9月より、リレーコラムをリニューアルします!

リレーコラムでは、これまで「集団精神療法の様々なかたち」をテーマに、アクションメソッド、メンタライゼーション、ダンスセラピー、SE、プレイセラピーについて、それぞれ現場でご活躍されている方々からご紹介いただきました。
いかがでしたでしょうか?

続きまして、R6.9月より、次回大会のテーマ「グループが生まれるとき」と連動して「グループの立ち上げ」をテーマに、新しいリレーコラムを実施することになりました。各領域で活躍されている方々に、集団精神療法だけにとどまらず、さまざまな新しい「グループの立ち上げ」について、体験談を執筆してもらいます。
グループを作ろうと思ったきっかけや、そのニーズや期待について、準備や開始に当たっての難しさや、その壁や落とし穴に、どのように向き合い乗り越えたのかなど、熱意や工夫、試行錯誤や失敗談を含めて、それぞれの現場の体験をシェアできればと考えました。ベテランの方々には当時を振り返るきっかけになるでしょうし、これから新しいグループを始めようと考えている方々には、参考や励ましになるのではないかと思います。

初回は広報委員のコラムからスタートする予定です。次のお声がかかりましたら、ぜひご協力をお願いいたします。
大会までの期間、どのようにバトンが繋がっていくのか楽しみです。

広報委員一同

2024年9月25日リレーコラム