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選択性緘黙児の外来グループ-『シャイネス』/渡部京太さん (リレーコラム08)

2021年11月16日

選択性緘黙児の外来グループ『シャイネス』

渡部京太(広島市こども療育センター)

 私が数年前に勤務していた病院での外来グループについて述べたいと思う。

 『シャイネス』は、選択性緘黙児を対象としたグループ・プレイセラピーである。選択性緘黙は、治療的接近が難しい疾患のひとつにあげられるだろう。選択性緘黙児の診療では、病院での診察場面で観察できる行動は限られており、言動によるアセスメントは難しい。またプレイセラピーに導入しようとしても、強い緊張感のために母親から離れられずにプレイルームに入室することができなかったり、プレイルームに入室できたとしても動かなくなってしまうということが繰り返されていた。このように治療的接近に難しさを感じることがあり、その時にグループを活かせないものかと思いついて立ち上げたのが『シャイネス』である。治療構造は、外来通院中の選択性緘黙と診断された患児を対象とし、2週ごとに1時間実施した。比較的大きなプレイルームで、遊びを中心としたグループで、患児のきょうだい(2歳以上の健常児)同伴での参加を受け入れていれた。また、親には親グループを提供し、そこでは家庭外では話せない子どもを抱えている悩みや学校での対応についての工夫などが語られ、さらには進路についてどのように考えていったらいいかということについて情報交換がなされたりした。

 一方子どもグループのセラピストは、緘黙児のグループという存在を今まで聞いたこともなく、「緘黙児を集めて遊ぶことはできるのか」「きょうだい同伴という構造をどう扱ったらよいのか」などの不安を抱えていた。実際には初回からボールプールのボールがビュンビュンと飛び交う中で声を上げて大喜びする子どもたちがいる、エネルギッシュな遊びが展開するグループとなった。ボールプールの中のボールはほとんどがボールプールの外に投げられ、診察室を片づけるのには1時間を要した。『シャイネス』を始めた時期には、津波による甚大な被害が生じた東日本大震災、また激しい民衆のうねりがみられたアラブの民主化の波があった。選択性緘黙児のこの激しいプレイには、家族以外の人の前で話さないで抑え込んでいるものが激しく噴出していたのではないかと私を含めた治療スタッフには感じられた。おそらく、東日本大震災やアラブの民主化の波は、選択性緘黙児の無意識に大きな影響を及ぼしていたのではないかと私は感じている。また、「きょうだいをどう扱ったらよいのか」という点については、“きょうだいの面倒をみる”という役割が選択性緘黙児の行動をスムーズにすることを可能にしており、治療スタッフにとっても“きょうだい”である健常児と行動の比較ができることで、患児の状態像をアセスメントしやすいという利点があった。

 『シャイネス』では、グループ開始から2年後に、新たな試みとして児童精神科病棟への入院治療を兼ねた3泊4日の夏休み合宿を行った。7名の緘黙児とスタッフ6名で、水族館と銭湯へ行き、翌日は病棟行事の納涼会に参加し、夜は花火大会と肝試しに参加した。児童精神科病棟に入院している子どもは小学校高学年から中学生であったが、入院する緘黙児は小学校低学年が多く、入院中の子どもにも緘黙児を受け入れてもらえるように選択性緘黙に関する絵本を用いてレクチャーを行った。合宿に参加した緘黙児は、家庭や学校から離れ、グループの仲間やスタッフと協力しながらいつもとは違う場面へ冒険に出かけてみるという外来グループだけでは得られない体験を仲間と共有できたのではないかと考えている。入院合宿を行った選択性緘黙児の様子を観察していたところ、肝試し(・・旧陸軍病院で肝試しをするというのはほんとうの旧日本兵のおばけがでそうで隠れている自分が実はこわかった・・)でスタッフが驚かしても選択性緘黙の子どもは驚きの声を一言もあげなかったのである。ただ、夜の睡眠の時にはなにやら寝言は話していた。選択性緘黙という病態はほんとうに不可思議だと感じたのである。

 最後に選択性緘黙児の『シャイネス』というグループの名称は、どのようにして命名されたのかについてふれてみたい。私が好きだったイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のメンバーのひとり、細野晴臣氏は『東京シャイネス』というアルバム、そしてワールド・シャイネスというバンドを従えてアルバムを製作し発表している。このような影響を受けて、私は選択性緘黙児のグループの名称を決めたのであるが、『シャイネス』という言葉は選択性緘黙の子どもの特性そのものを言い表していると感じたからである。実は『シャイネス』の前には病院がある地名がついているのだが、今にして思うと、外の世界ではほとんど話さない選択性緘黙の子どもの世界が『病院がある地→東京→世界(ワールド)』へと世界が広がっていったらいいという私の思いがあったのだろうと思う。

※PDFファイルで読む → リレーコラム08 「選択性緘黙児の外来グループ-『シャイネス』」 渡部京太