「外にいるあなた」へ。伝わっていますかー?/桜庭拓郎さん (リレーコラム30)
「外にいるあなた」へ。伝わっていますかー?
桜庭拓郎
私のもとにリレーコラムの依頼がきた。これはまさに「リレー」なわけで、会員のなかで親交があり、私のことを知ってくれている人から、声をかけてもらったことが表れている(卜部さんありがとうございます!)。そして、これまでのコラムを見てみると、何人もの私が知っている人が何らかのかたちで自分を表現していることがわかる。思った以上にパーソナルな部分を表現していて、少し、いや強い驚きと戸惑いも感じた。
ただ戸惑いつつも、この生き生きとしたリレーコラムのありようは、この学会らしさがよく表れていると思う。ある程度の深さと期間、この学会にコミットしていれば当たり前とも感じられるのではないか。でもその「当たり前」が、この学会の文化の独特な部分じゃないかと思う。「学会」というと、その名の通りアカデミックなもので、あまり生々しい人間の息遣いを感じさせるワードではない。もちろん人が作り出しているものだから、良くも悪くも人間臭い何か(かっこつけて「力動」と呼んでみる)があるわけだけど。
そんなわけで私たちには当たり前だったりもするが、やはり外から見たら「ちょっと変わった人の集まり」なんだと思う。ところで、「ちょっと変わった人」の集まりじゃなくて、ちょっと変わった「人の集まり」です。いや、どっちとも言えるか・・・。
さてあらためて、このリレーコラムの趣旨を考えてみる。ホームページにある案内文からも、ホームページ担当者から私への正式な依頼のメールからも、このリレーコラムのねらいは半分かそれ以上、本学会の「外の人」にメッセージを伝えることだと思われる。この学会が集団について考える学会である以上、私たちは生身の人間であることや、そこで起こるやりとりのライブ感を大事にしてきた。そしてこのリレーコラムでは担当者や書き手たちが、それを「外の人」に伝えようとしていることがよくわかる。
どのくらい「外の人」がこのホームページを見ているだろうか。そのうちどのくらいの人がこのリレーコラムに目を留めてくれて、そのうちどのくらいの人がそこから「学会」ではなく中にいる「私たち」を感じてくれるだろうか。私の仲間たちが、ときに痛々しいほど赤裸々に自分を表しているのを見ると、少しでも多くの人の目に留まり、存在を感じてくれることを切に願う。
ところで「外の人」っていう表現、あまり感じがよくないですね。境目を強調してしまう感じで。排他的な印象まであるかもしれない。でも私はやはり「この学会というグループ」において、内と外を強く意識していることを実感する。
なんだか「私」を語るよりも、だらだらと「私の外」の話をしすぎたかもしれない。でも私がいかに「このグループ」を大事にしているかが「外にいるあなた」に伝われば、とりあえずそれでいい。
私たちのコラムを読んだ人の中には、ディープすぎて(内輪ノリすぎて?)入っていけないと思う人もいるかもしれない。でもどんなグループにも必ず「周辺人」がいる。望むのは「外にいるあなた」が「内にいる仲間の〇〇さん」になってくれることだが、ここにコミットした私たちにはコミットできなかった人の本当の思いはわからない。
ただとりあえず、聞いて(読んで)ほしい。感じてほしい。私の仲間たちが、こうして語っている。「外にいるあなた」に語っている。
(集団精神療法学会公式HP リレーコラム 2020年4月)
※PDFファイルで読む → リレーコラム30 「外にいるあなた」へ。伝わっていますかー? / 桜庭拓郎