リレーコラム26 揖斐衣海 2019年12月

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「でもさ、お母さんだって」

揖斐衣海

身近なグループには家族がある。
先日はこんなことがあった。
(私)「明日、○○のお迎え、行けるんだったよね?」
(夫)「え、聞いてないよ」
(私)「言ったよね。1か月前にも、先週にも、今週のはじめにも言ったけど・・」
(夫)「〇曜日は忙しいって言ってるじゃん(イライラ)」
(私)「分かってるけどさ、ちゃんと確認して決めたよね(やっぱりイライラ)」

この後はここで書けるようなやり取りではないが、とにかくお互いの忙しさを張り合う馴染みの醜い展開が続いた。きっかけは些細なことなのだ。素晴らしい日本女性はそんな争いには陥らず、忍耐強く家事も仕事も育児もやってのけるイメージがあるのだが…残念ながら私はそうではない・・・そんなイメージが当然ここでも私を苦しめながら、この争いを終えることが出来ないでいた。

さて、そんな時に最近力を増してきている娘がどこからともなく現れて、
「でもさ、お母さんだって私のお世話でしょ、朝ご飯でしょ、送ってくれるでしょ、仕事行くでしょ、お迎えでしょ、夜ご飯でしょ、洗濯もあるし、あ、歯磨きもあるでしょ、それから××も見てくれるでしょ、夜にビデオ会議もしてるしさ、結構忙しいと思うよ」
と、とても冷静に言ったのである。
彼女にとっては、ただその日の朝から夜までの私の行動を見たまま言っただけかもしれない。しかし、風向きが変わったのだ。娘がそんな風に見ていたことに驚いた夫婦は我にかえり、ようやく相手の状況を慮ることができた、というわけである。

観察者がいて、見たことをそのままに話してくれること、それはそこで何が起きているのかを認めることでもある。これがどんなにパワフルな力になりえるか。もしあの場で、娘が「お父さん、それはひどいよ、ねえ、お母さん!」と、私のミニチュア版で登場し、共謀しようとしたなら、また違った展開になったはずだ。あの時、観察する目として彼女が登場したからこそ、風が吹いたような、何か深呼吸できるような間ができたのだ。面白いなあと思う。観察者の目や声というのはエンパワメントする力にもなると言っていたイナ先生を思い出した。こんな小さな子だって、ちゃんと見ていて、力を発揮する。こんな風に人はいくつもの役割を担い、交替しながら、グループの中で育っていくのだなあ、学校や職場で何気なく周囲にいる人も、きっと様々に感じているのだろうなあ、と改めて思った瞬間だった。グループって面白いな。

 (集団精神療法学会公式HP リレーコラム 2019年11月)

※PDFファイルで読む → リレーコラム26「でもさ、お母さんだって」/揖斐衣海

 

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