リレーコラム27 荻本快 2020年1月

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多くの人の流れが洗うもの

―第36回大会雑感―

荻本快

2019年3月9日の昼、普段はガランとしたICU(国際基督教大学)の本館に大きな人の流れが押し寄せていた。日本集団精神療法学会第36回大会の初日である。午前の講演を聴き終えた人と、午後のワークショップから参加する人が合わさり、大会受付のある本館1階のロビーは大混雑である。そこに立つ私は、どんどん太くなる人の流れをみて一瞬あっけにとられていた。大会事務局長としてはそんな暇はないはずなのだが、私は自分の眼前の光景がいつもは閑散とした本館で起きているということを、うまく認識できなかったのである。予想を超える来場者であった。私は、大会事務局の事務室に向かいながら、飛び上がりたいような喜びを感じた。たくさんの人が来てくれた!ほんとうに多くの人が!それと同時に、私の中にある何かが洗われるような、爽快感をもっていた。

2002年に開設されたICUの大学院臨床心理専修は、2017年3月に閉鎖した。「閉鎖した」とあいまいに表現しているが、構成員の意に反し、大学が専修閉鎖を決めたのである。それに伴い、研究所と附属心理相談室も閉鎖になった。強い力で終わらせられた組織には不可避である混乱が、閉鎖の前後を通じて続いた。その影響は、この組織に長短あれ一時期かかわった人に、今でも残っている。全員が痛みを負ったと同時に、混乱に関わるか傍観したという意味で責任があるとも言えるだろう。動乱の結果、専修の関係者は一種のディアスポラ(離散)状態になっている。

今回は大会長の尽力と協力でいくつかの会を催すことができた。まず研修会の前日である3月7日に、心理相談室で毎月開かれていた心理教育的コミュニティ支援「オープンハウス」が数年ぶりに開催された。サツキ・イナ先生が制作した映画“From A Silk Cocoon”を鑑賞した後、以前のスタッフと以前の参加者を含む来場者が語り合う時間をもった。二日目の夜には有志の修了生による会合も開かれた。

他の大学であれば当たり前なのかもしれないが、かなりの人数の専修の元構成員の参加があった。その中には専修閉鎖後初めてICUに足を踏み入れた人も含まれていただろう。修了後たがいに連絡を取れなかった同期に久しぶりに再会した場面もみられた。「学会だったからICUに来られた」という声を聞いている。

会員をはじめとする参加者に、心よりお礼を申し上げたい。多くの人がICUに来てくれ、大きな人の流れが生み出された。その流れがもつエネルギーや勢いが、ICUにおける専修・研究所・相談室の喪失や、歴史の中で喪われたものへの作業を促したのではないか。元構成員の中にある形容しがたい「痛み」や「後ろめたさ」のいく分かが、人の流れによって洗い動かされたように感じる。私が感じた爽快感というのは、そういうものだったと考えている。大きな人の流れは、それだけで浄化作用や癒しの力をもつのかもしれない。

この意味において、多くの人が来訪する年次大会が、どこで開催されるのかというのは、組織の治癒論としても重要だと思う。年次大会を運営することは困難な作業ではあるが、大きな人の流れが生み出されたときに、その場所や組織の歴史において喪失したものを悼む作業を助ける面がある。そして、「ここにも多くの人が来てくれた」と元気や活力を感じることができるのである。思い返せば、大会の実行委員会の方々は、ある時点から組織における喪の作業とエンパワーメントを意識してくださっていたように見受けられる。本当によく意見を交換し、互いによく感じ入る実行委員会だったと思う。実行委員会の議論の中から、「オープンフォーラム」のアイデアがうまれた。嬉しいことに第37回大会でも開催されるそうである。

今回のような大きな人の流れがあったとしても、動き難いものがある。むしろそれがはっきりする経験もした。しかし、あの大会を経たことで、痛みと後ろめたさの組成というべきものが、確かに動き、組み換わり始めたのを感じている。それをもたらしてくれたのが、大きな人の流れ、すなわちグループであった。私はそれに懸けたい。グループは一度死んだが、グループがグループを悼み、また新しいグループが生まれ、その新しいグループもまた変わっていく。そう信じている。

 (集団精神療法学会公式HP リレーコラム 2020年1月)

※PDFファイルで読む → リレーコラム27 多くの人の流れが洗うもの―第36回大会雑感― / 荻本快

 

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