リレーコラム「集団精神療法のさまざまなかたち」 No.03 ~サイコドラマ編③~「サイコドラマの魅力〜私の場合」
「サイコドラマの魅力〜私の場合」
藤堂信枝
先のコラムを担当された藤巻加奈子さんを経て広報委員会から,「サイコドラマに興味がある方や実践したことがない方へメッセージを」そして,「サイコドラマの面白さや魅力が伝わる内容を,楽しく自由にお書きください!」と依頼が来た。見ての通りビックリマーク付きで。「楽しく自由に」というと,プレイフルを真骨頂とした故高良聖先生が思い浮かぶが,残念ながら私にその要素は少ない。さあ,どうしましょう。ないものを欲しがっても仕方がないので,「自由に」という部分にのみ焦点をあてて考えてみることにする。
一体なぜサイコドラマなどという,特殊な方法を私はやっているのだろうか。演技が得意なわけでも演劇が特別好きなわけでも,全くない。まだに集団は苦手だし,ましてや人前で表現することは,ことさら緊張する。だからこそ,サイコドラマにハマったのかもしれない。
振り返るとサイコドラマとの出会いは,転職先の単科の精神科病院である。学生時代のボランティアで少年院での心理劇を体験したことはあったが,急性期病棟の患者さんと行うサイコドラマは,それとは全く異なるものだった。これは,大人のプレイセラピーだ!と,とても興味を抱いたのが始まりだった。今思うと,ままごと遊びが好きだった子供の自分が呼び覚まされたのだろう。スタッフとして参加するからには研修を受けなければ,と出かけた1泊2日の合宿のサイコドラマは,これまた衝撃的だった。夜に行われたドラマは,現在の問題から過去に遡り,幼少期のトラウマ体験が演じられ,当時は表せなかった感情を表しトラウマを克服する,というまさに古典的サイコドラマそのものだった。とてつもなく感情を揺さぶられた。これはどんな映画やTVドラマよりも面白い!このやり方を身につけたい,できるようになりたい,と虜になった。
サイコドラマの参加者は,もちろん演技のプロなわけはなく,しかも初めて出会う人も多い。その中で,徐々にお互いを知り合い,気持ちを表せるグループとなっていく。そうして主役が生み出され,現在の困った事柄に含まれる感情と姿勢をたどり,幼少期にまで遡った主役は,涙や叫びと共に新聞紙を丸めた棒で椅子を思い切り何度も何度も叩きつける。子供の頃から封じ込めてきた怒りや悲しみが解放され,切り離されていた主役の傷ついた子供の自分が立ち現れる。現在の大人の自分が,傷ついた子供の自分を労わり,優しく受け止め,自分の一部として認め,統合していく。そして最後には,現在の場面で最初に表された主役の振る舞いが,新たなありかたへと変化する。
こうした古典的サイコドラマに参加し,私自身何度も主役を重ねてきた。この体験は,人への警戒心が強く,集団を苦手とする私にとって,比較的そうした抵抗感を減らせたり,役割を与えられ,演じることで他者に親近感を覚え,繋がることができる体験となった。さらに主役体験では,自分の言葉にならない感情が,アクションを通して言葉へと道筋がついていく。これは私にとって非常に助けになった。感じていることを言葉で表しやすくなり,随分楽になったと思う。こうしたサイコドラマの面白さと効果を実感できたことが,今日まで臨床現場でサイコドラマのみならず,グループや個人への臨床活動を続けている礎となっている。
さて,現在臨床現場のデイケアで行うサイコドラマは,少しライトだ。ポジティブな過去や未来の自分を演じることを通して,現在の傷つき弱った自分を客観的に捉え直し,エンパワーするドラマを中心に行っている。とはいえ,人前で話すのが苦手なメンバーや,他者との関わりが乏しかったメンバーが役割を上手に演じたり,グループから主役に選ばれたりする。そうして,徐々に他メンバーと談笑し,時にはグループ内で冗談を言うまでになり,デイケアから離れ次のステップへと進んで行ったりする。もちろん彼らの変化や回復は,サイコドラマだけでもたらされるわけではない。それでもサイコドラマは,彼らが抱えている過去や現在の痛みが少しでも和らぎ,望む未来へと踏み出す一助になると信じている。
と,ここまで自分の体験を中心に「自由に」書いてきたが,読んでくださった方にサイコドラマの面白さや魅力は伝わったのだろうか。いささか不安だが,サイコドラマは知れば知るほど奥が深く,魅力は計り知れない。文章では表しきれないので,ぜひ実際に体験してみてほしい。そして,臨床で実践してみたい,と思う方がひとりでも増えると嬉しい。
日本集団精神療法学会公式HPコラム No.03 2023年7月)
※PDFファイルで読む →「サイコドラマの魅力〜私の場合」