リレーコラム39 牧裕夫 2021年1月

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栃木県の山里で平和を求める神々によるグループ・セッション
    -第26回日本心理劇学会栃木大会を終えて「共通点を求める」-

作新学院大学 牧 裕夫

令和2年10月24・25日、第26回日本心理劇学会栃木大会が行われた。当初、その企画は当たり前のように対面方式にて進んでいた。Covid-19禍、突然それは画面上、守秘義務も脅かされるWEB方式での開催と変更された。そこでは「本来ではない」、「仕方ない・・」、「発表・参加する意味もない・・」といった意見も散見された。

サイコドラマの創始者J.L.Moreno、1925年オーストリアからアメリカに移住、英語も定かではなく、それほど知られた精神科医ではなかった。その中で新に出会った人々、そこで与えられたテーマからソシオメトリーの発想、そしてサイコドラマへの実践を展開していく。Covid-19禍、その予測を超える困難さの中で何ができるのか。創造性、自発性によるサイコドラマには「本来ではない」という発想はないはず、そこに新たな拡大への可能性を求めることこそ「本来」ではないか。

WEBシステムはそれほど浸透していない。そこで、学会に先立ち1ヶ月に2回位WEB体験の時間を4回設定した。その際、元学会理事長であった増野肇先生が、「WEB開催、面白いですね、ワクワクしますね・・」と、その4回のセッション全てに参加され、単にWEB体験を超えた相互性あるセッションとして展開された。当初は15人位であったが、4回目では40人位が参加され、プレ大会の様相となった。

そこで様々なテーマが展開したが、そこでドミナントな方向性として「共通点を求める」があったかに思える。サイコドラマ(心理劇)の中にも、様々な考え方、方向性がある。その中で相互に「違い」を求めてしまうところがある。あたかもバベルの塔の神話の如く、神の怒りから人々が異なった言葉を話すようになったようだ。

 

第26回栃木学会を終えてホットしたところ、クーリングダウンとして一週間後に栃木県益子町を訪れた。そこには、すでに「共通点を求める」というグループ・セッションが神々により行われていることを知った。

益子町、「益子焼」という器の名前をなんとなくご存じではないだろうか。小高い山々に囲まれた素敵な焼き物の里だ。そこにナンドール・ワーグナー(1922-1997)のアトリエがある。ハンガリー出身の彫刻、画家、建築家で日本人の秋山ちよとスウェーデンで出会い結婚、益子に住み日本人に帰化していた。

益子焼の店が並ぶ通りから、細い山道を100mほど上がると、静かな山里の中にそのアトリエはある。季節限定で短い期間アトリエと住居が一般公開されていた。

アトリエにアクセスする道に、等身大以上の聖徳太子のブロンズ像がその里山を見渡し、その近くに未敷蓮華観音菩薩が鎮座されている。敷地内に進むとシナイ山から十戒を両手にしたモーゼに出会う。さらに敷地内、数々のブロンズ像が設置されている。エクナトン、ひれ伏すアブラハム、キリスト、老子、釈迦が円形に並んでいる。その円形の中央には15cm位の銀色の球が置かれている。その円の外側には達磨大師、ガンジー、聖フランシス、ユスティニアヌス、ハムラビが並ぶ。これら一連のブロンズ像が並ぶ世界は「哲学の庭」と命名されている。

ナンドールは第二次世界大戦に従軍し、その後、自由を求めた創作活動に対して母国からはスパイに命を狙われる等必ずしも順調に進んではいない。すべてのブロンズ像に共通しているテーマは正に「平和」であり、その教義としてそれぞれの違いではなく「共通点を求める」ことにあるという。

その円形は曼陀羅のごとく、そして「泥より出でて泥には交わらない蓮」の如く神々はその円形の葉を囲んでいる。作者ナンドール・ワーグナーは、「これらの作品の意味は今世紀中には理解されないだろう・・・」と指摘している。神々はその「共通点」を見出しているのだろうか。それともその答えは既にあり、我々がその答えをそこに求めるだけなのだろうか。

 

人々が円形に集う集団精神療法、益子町の山里に集った神々と同じく、これからも世界中で平和を求めるセッションが2021年行ていくだろう。

 

(日本集団精神療法学会公式HPリレーコラム2021年1月)

※PDFファイルで読む → リレーコラム39 栃木県の山里で平和を求める神々によるグループ・セッション / 牧裕夫

 

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