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思い出すこと/嶋田博之さん (リレーコラム09)

2021年11月16日

「思い出すこと」

嶋田博之

 社会的ひきこもりの状態が長く続いている方に、自助グループや治療グループを勧めることがある。当然のことながら、勧められても簡単には乗り気にならない方も多い。参加をためらう背景にはさまざまな不安があることが多いが、なかには、「自分が付き合いたいのは健常者であって、患者とは付き合いたくない」とキッパリ言う人もいる。「自分も患者だろうに、ずいぶんな言い方だなあ」と思っていたが、私自身にも「似たような心境だったのだろうか?」と思い出す体験がある。

 数年前に、海外で、ある研修会に参加した。そのプログラムには、私を含めて12人のメンバーが参加していた。地元の英国人女性が3人、残り8人は北欧出身者だった。3人から成る小グループ4つに分かれてロールプレイで練習し、全体で集まってディスカッションをするという過程を5日間にわたって繰り返した。私は英国人女性と北欧X国人女性との3人組になった。よほど緊張していたのだろう、3人で振り返るビデオの中の私は瞬きをしまくっていた。

 全体ディスカッションでは、ほとんどの北欧出身者たちがネイティブ並みの流暢な英語を話すなか、別の3人組にいた北欧Y国出身の中年女性Aと私だけが拙い英語で悪戦苦闘しているように見えた。Aはときおり怒り狂ったように何やらまくしたてていた。そう表現すると実際には大げさになっているのだろうが、私の記憶の中のAはそうなっていた。このディスカッションでは、まずは相手のメッセージを自分が受け止められているかどうかを確かめてから次に自分が発言するのを基本としていたが、私は5日間で一度もAのメッセージを受け止めることがなかった。第一に、Aが何を言っているのか聞き取れないことが多かった。他のメンバーがAのメッセージを確かめる過程でようやく、私にもAが何を言っていたのかが明らかになることがしばしばであった。ただ、そうした言葉の問題よりも、何とかAと繋がろうという気持ちが私に希薄だったことの方が決定的だったように思う。

 最終日の振り返りで感想を述べる機会があった。私は、「言葉の問題で、私とAが一番苦労していたように見えていた。そういう点でAと繋がれる可能性があっただろうに、出来なかったのが残念だった。こういうことは社会でもよくあることだと思った」と話した。ようやく少しAに触れることができた、と思っていた。でも、それで研修後にAと話が弾んだかと言えば、全くそんなことは起こらなかった。

 以来、「繋がりにくい人たちを繋げる」というのが、ちょっとした自分のテーマの1つになっていた。しかし、それから数年経った今も、こんな話をするのが少し恥ずかしいほど何も実行できていない。むしろそれどころか、自分自身が当時よりも引きこもってきている気がする。しかも良いのか悪いのか、その引きこもりが嫌かと言うとそうでもなく、まあまあ居心地が良い感じもある。

 今から振り返ると、その研修のときの私は、リーダーや他の参加者たちに付いていくのに必死だった。いや、より正確に言うなれば、付いていけているフリをするのに必死だったと思う。Aのことをどこか「みっともない」とか「ああはなりたくない」と感じていたところもあったように思うが、そうやって自分より後ろにAを置いて安心したかったのだろうと思う。「怒り狂ったようにまくしたてる」というのも、そのために私がこしらえた歪曲だったり、本当は私の中にあった姿をAに投影して見ていた幻像だったりしたのかもしれない。今の引きこもりに居心地の良さも感じているのは、無理して何かに付いていこうとあまり思わなくなったから…だといいなと思う。

 さて。あのときAは、本当のところ、どう思っていたのだろうか? Aともう一度話すのは、叶わないことかもしれない。もしかしたらA自身は「言語的に苦労している」とは全く感じてなかったかもしれない。「患者とは付き合いたくない」と言ったとき、あの人はどういう思いだったのか? それも、もう叶わないことかもしれないし、もしかしたら、いつか話せる機会が持てるかもしれない。

※PDFファイルで読む → リレーコラム09 「思い出すこと」 嶋田博之