「体験グループ」のすすめ:特に集団(グループ)が苦手な人のために/加藤隆弘 (リレーコラム13)
「体験グループ」のすすめ:特に集団(グループ)が苦手な人のために
加藤 隆弘
とことんグループが苦手な私であるが、集団精神療法学会に入会して15年ほど経とうとしている。精神科研修医時代を過ごした単科精神科病院の院長に勧められた夏の二日間の「体験グループ」に参加したことが集団精神療法に関わることになったそもそもの始まりである。10名ほどの老若男女が集い、長老のような男性の「はじめましょう」の一言のあと、10分以上沈黙が続いた。実際に沈黙が何分続いたか定かではないが、主観的には100分以上続いたかのような苦しい体験であった。と同時に、これまで私が苦手意識を強く感じてきたグループ(学校という集団・部活という集団などなど)における居心地悪さとは違うグループ体験でもあった。「体験グループ」という体験を重ねるうちに、グループの中の沈黙に居心地のよさも感じるようになってきた。沈黙に身を置くなかで、『自分はなぜ(日本的な)グループが苦手だったのか?』ということが薄々とではあるがわかるようになってきた。日常的に関わっている学校や職場などでのグループの中では『周りに合わせないといけない!』という類いの無意識的なプレッシャーが発動してしまい、こうしたプレッシャーがグループ嫌いの要因だったかもしれない、と振り返るのである。いまでも、こうしたプレッシャーが発動しないわけではないが、以前よりはグループの中にいながらにして独りでいることができるようになったのかもしれない。周りからは、これまで以上に「へんな人」と映るようになったかもしれないが。
英国エジンバラの精神分析家フェアバーンはシゾイド理論で有名であるが、彼は「ひきこもり的心性は誰にでもある」という類いのことを語っている。英国の小児科医であり精神分析家であったウィニコットは「独りでいられる能力(capacity to be alone)」を育むことが独立した大人になるためには重要であると語っている。同調圧力が強く、甘えの文化社会を生きる私たち日本人にとって、こうした能力を得る機会は多くないのかもしれない。この日本集団精神療法学会は、こうした能力を育んでくれるグループなのかもしれない。
私は現在、大学病院でひきこもり者を主な対象としたグループ精神療法を実践している。そのスタイルは、私が15年以上前に経験した『体験グループ』と大きくかわらない。沈黙の時間が多くを占めている精神分析的なグループなのである。ひきこもり者の引き籠もり行動の要因のひとつとして『独りになるためには誰もいない部屋に閉じ籠もらざるを得ない』という思い込みがあるかもしれず、『人が大勢いるグループの中でも独りでいられるようになる』ことが治療の鍵になるであろうと、私は現在考えている。インターネットの普及で「独りでいること」がますます困難となった21世紀であればこそ、ひきこもり者に限らず、多くの人々にとって集団精神療法、特に「体験グループ」的体験の重要性は高まっているはずである。是非、みなさん、この学会で「体験グループ」を体験してみませんか?
(集団精神療法学会HP リレーコラム 2018年10月)
※PDFファイルで読む → リレーコラム13「体験グループのすすめ」 加藤隆弘