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サイエンスフィクション(SF)とグループと/荒木章太郎さん (リレーコラム43)

2021年11月12日

サイエンスフィクション(SF)とグループと

心の風クリニック 荒木章太郎

 「インターステラー」というSF映画をご存知だろうか。いや、「2001年宇宙の旅」でも構わない。あるいは、ジェイムズ・P・ホーガンの「星を継ぐもの」か、とにかく最近どんなSFを読んでもノスタルジックな気持ちになる。学童期にSFを読んでいた頃は希望に満ち溢れ、私の心のベクトルは明るい未来に向かっていた。しかし、生まれて半世紀を超えた今になってSFを観ると、自分がまるで未来人にでもなったかのように過去に想いを馳せてしまう。それは、これらの小説が宇宙の未知なるものを描きつつも結局は人の営みについて描かれていることに気付いたからである。

 人間は重力の束縛から逃れることができないのとと同じように、人間という構造を超えることはできないという生命の限界を知ってしまった閉塞感からなのかもしれない。

 2020年に新型コロナウイルス感染が拡大して以降、職場のグループは対面で行われているものの、自分が参加する体験グループは全てリモートになってしまった。リモートで行うグループはまさに、一人自室という宇宙船から、地球にいる人達と交信している心境となる。まだ、私には直接輪になってグループを行なっている記憶があるから、それを用いてグループをイメージしながら画面に向かうことはできた。思考、聴覚優位の世界に没頭してしまい「今、ここ」で繋がることに対する難しさを感じていた。リモートで体験するグループは私にとってSFの世界なのだ。

 そんな中、集団精神療法学会第38回大会は全てリモート開催で行われた。

 Elisabeth Rohr の講演に心が動いた。特に終盤の治療的要因の講義である。それは、関大会長による自身の体験を交えた大会長講演の流れで、グループアナリシスの実践家としての営みが伝わってきたからである。彼女の話を聞いているうちに、グループが鏡となって、私個人の体験を振り返る機会となった。私は90年代後半から、鈴木純一先生の体験グループに参加して以来、治療共同体の中に身を置き、体験グループを重ねていく中で、グループの知が少しは血となり私の体を流れていることを実感できてほっとしたのである。リモートでもグループを体験することができたのだ。それは画面上に私の内在化された治療共同体を投影し共鳴したのかもしれない。

 最後のリモートによる大グループは大人数の圧力を感じることなく発言できる構造になっていることに気づいた。またWEb開催という構造自体が、フークスの言うGroup matrixをイメージすることを可能にした。その一方で、思考優位になってしまい、身体が取り残されるようにも思う。

 新型コロナウイルスの感染。人が出会い、つながることについてこれほど考えさせられたインパクトのある出来事はない。我が国のことに話を広げると、感染予防という力動とオリンピック開催で盛り上げようと言う力動のアンビバレンスを感じるが、一方、臨床グループでは、性差、世代間、役割間、様々なサブグループで分裂しそうになりながらも揺らぎ、纏まり、また揺らぎ、持ち堪えて社会の葛藤を映し出しながらグループがまとまろうとする力動を感じている。

私はグループに参加しているメンバー達が、その体験を続けていくうちに個人を取り戻す姿を目の当たりにして、こんな時だからこそ人が集い対話する場が必要であると痛感する。

時代の変化の中で、それでも人間は「社会的存在である」ということを直面されることで生じるある種の閉塞感と、それでも限界は超えられるのではないかという幻想から生まれる希望が入り混じる。そんな気持ちを抱えながら私は一人モニターを見つめながらグループに参加する。

 そう私も宇宙の一部なのだ。

(日本集団精神療法学会公式HPリレーコラム2021年5月)

※PDFファイルで読む → リレーコラム43 SFとグループと / 荒木章太郎