うちのねこ知りませんか/鎌田明日香 (リレーコラム22)
うちのねこ知りませんか
鎌田 明日香
「ねこが逃げた」
え?どういうこと??
目に入った文字に、頭が真っ白になり、時間が止まったように感じました。ある夏の日、遠方で数日間の集中的なグループを終えた帰路のことです。乗っていた飛行機が着陸したので携帯電話の電源を入れたら、このメールが舞い込んできたのでした。「やれやれ、ようやく家に帰れる」「早く、愛猫の顔をみたいなぁ」と思った矢先でした。
“うちのねこ”は、完全なる室内飼いで外に出たことがなく、おまけに、いなくなったのは預けていた実家から。土地勘がないので、自分から戻ってくることは期待できません。はじめは、実家の敷地内にいるのではないかと気楽に考えていましたが、数日のうちにそうではなさそうなことがわかってきました。ねこはじぶんから「ここにいるから、迎えに来てにゃ~」と電話してきたりもしないわけで、超びびりで甘えん坊の彼女を「なんとしてでも私が迎えにいく!」と悲壮な気持ちで決意をかためるに至りました。
迷いねこ探しは、とにかく歩き回って、チラシ配り、ポスター貼り、聞き込みなどをして目撃情報を集め、飼い主が呼びかけながら隠れていそうなところを探す…、これしかありません。
ねこの目になると、街が違って見えてきます。ねこの活動時間は、夜から早朝。ニンゲンが寝静まった深夜、懐中電灯で暗闇を照らし、隠れていそうな物陰をのぞきこみながら、くまなく歩いてみると、思いのほかたくさんのねこが生活していることがわかります。繰り返し歩いているうちに、地域のねこたちの分布図がわかってきて、顔見知りにはお願いするようになりました。「うちのねこを見かけたら、帰ってくるように伝えて。」と。
情報をくれそうなニンゲンにも声をかけます。外猫にエサをあげている人、ねこを外に出して飼っている人、早朝に犬を散歩させている人、畑仕事をしている人、地域でお店を開いている人…、外で遊ぶことの多い小学生も心強い味方でした。はじめは見ず知らずの人に声をかけるのには勇気がいりましたが、恥ずかしがっている場合ではありません、やってみると、迷惑そうにされることはほとんどなく、みな親切です。「うちのねこもいなくなってねぇ」「はやく見つかるといいですね」「あそこに似たねこがいたよ」「あの人に聞いてみたらいい」などと言ってくれるのでした。チラシを見て電話をかけてきてくれる人もたくさんいました。
地域に住む外猫にはテリトリーがあり、迷いこんだ飼い猫がボス猫に追い立てられて、どんどん遠くにまでいってしまうこともあるそうです。詳細な地図を買いこんで、実家を中心に同心円を書き込み、それらしき場所を捜索していき、実家から100m、300m…と徐々にその範囲を広げていきました。似たねこがいると聞いては、急いでかけつけ、違うねこだったということも数知れず。見つからない日が続くうち、どこまで捜索範囲を広げたらいいのだろう、と途方にくれてきます。
猫探しのはじまった夜、わたしは、SNSで“友達”に向けてメッセージを送りました。愛猫がいなくなったこと、みんなに精神的に応援してほしいこと。夜中だったにも関わらず、すぐに気遣いや励ましの反応がきてとても心強かったです。インターネットの掲示板や、Twitter、ブログなどを通じて、日本中に“うちのねこ”がいなくなったことを知られることになり、協力者が増えました。物理的に近くにいる人とも、遠くにいる人とも、つながりを感じることができました。そのつながりが、私に情報とエネルギーをもたらし勇気づけてくれ、寝不足で疲労がたまっても次の日も捜索をすることを可能にしてくれました。
グループの効果はさまざまあると思いますが、その直前まで参加していたグループで、わたしは、じぶんと、他者をふくむ世界との境界がこれまでになく安全でやさしいものとして感じられる体験をしていました。それまでどこかウソくさく思えていた、「思いやり」「共感」「慈しみ」「つながり」「愛」といったものが、あたらしい体感を伴ってたしかに存在するのを味わっていました。それは「自分がひらかれていく」あたらしい体験でした。その状態のまま飛行機を降り、ねこ探しの旅に出て、それはまるでグループ体験の総仕上げをしているかのようでした。
しかし、猫探し中にあった定例の体験グループは欠席しました。グループセッションの3時間、腰を落ち着けて話すなんてことはとてもできそうもなかったのです。緊急事態の圧倒的なリアルさの前で、ある意味人工的な“体験グループ”が太刀打ちできないこともあると知りました。だからといって、グループに意味がないというわけではありません。わたしに、内省することを教えてくれたのも、人とのつながり方を教えてくれたのもグループでしたし、緊急事態が終われば、戻れる大切な居場所のひとつなのでした。
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結局のところ、友人が配ってくれたチラシを見て、「写真と似た猫をちらっと見かけた」と連絡をくれた人のおかげでうちのねこは見つかりました。車通りの多い太い道を渡り、急な坂道を上り、600メートルほどの距離の山間に潜んでいました。3週間の愛猫さがしの日々は、映画が一本できるくらいのドラマの連続でした。たくさんの人が駆けつけてくれましたし、たくさんの人と知り合いになりました。毎日毎日、つらいながらも奇跡のような素晴らしいことが起こり、悲しみや絶望と同じくらい、感謝と喜びを感じる毎日でした。
便利な世の中で生活していると、ひとりで生きられるかのように感じがちですが、いざというときにはそうではないことを思い知らされます。自分の体はひとつで、歩いて回るにも限度があります。自分はちっぽけだけれど、じぶんの感覚とつながって、直感をとぎすまし、人とつながることでチャンスは巡ってきて、ひとりではできないことが成し遂げられるのだとはっきりと悟る経験をしたのでした。
そしてきょうも、わたしと“うちのねこ”は、見えない多くのものに支えられながら、平和にこの街で暮らしています。
(集団精神療法学会公式HP リレーコラム 2019年8月)
※PDFファイルで読む → リレーコラム22「うちのねこ知りませんか」/鎌田明日香