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オンラインゲームのリアル/大橋良枝さん (リレーコラム24)

2021年11月16日

オンラインゲームのリアル

大橋 良枝

 

※ 本文の登場人物の肩書等は、「匿名性」をさらに維持するため、内容が損なわれない程度に改変しております。

 オンラインゲームについて学生たちから聞くことがあった。熱心にそこでの人間関係を語る彼らの言葉に対して、どこか、「ゲームの世界のことでしょ?」「現実の人間関係が難しいからゲームで人間関係の仮想体験をしているんじゃ?」と思ってしまう側面が自分の中になかったわけではない。

 だが、ひょんなきっかけで私もまたオンラインゲームに手を染めてしまったことがあった。そのゲームは、プレイヤー一人一人が一国の王様で家臣や王妃あるいは妾たちを成長させ、ひいては国力を上げていくという、なかなかよくできたものであった。そして、その一番の特徴は周りの国王たち、つまり他のプレイヤーたちと連合グループを作って、ゲーム運営側が設定しているイベントごとに別の連合と戦う機会がある点だっただろう。

 同じ連合の国王たちであっても、彼らが現実世界で何をしている人なのかは、相手がカミングアウトしない限り知ることはない(皆、礼儀正しく、詮索することはないのである)。場合によっては性別さえも分からない。けれど、ゲームのプレイスタイルや、チャットで語られる内容で、一人一人のイメージは形成されていく。あるいは、連盟のリーダーやサブリーダーなどの役割も的確に決まっていくのである。

 私が所属していた連合は、20代後半の国家資格取得を目指すキャバ嬢をリーダーとするグループだった。実際どうなのかはさておき、その連合に所属した国王たちは皆(カミングアウトされたのが本当ならば)女性で、産休で出産を控えている人もいた。4人の子どもを持つ子育てにひと段落した50代の主婦もいれば、若い頃けっこう悪さをしていて10代で出産したバツイチワーママもいた。もちろん、大学生も数名いた。性別しか分からない人もいた。チャットはゲームの作戦より、日常の話で盛り上がっていた(カレー鍋をひっくり返されて地獄とか、もう離婚したいとか、今日は結婚記念日なんだけどサプライズしちゃおうかな、など)。九州で大雨の被害があれば、皆で九州に住んでいる(とカミングアウトしている)国王のことを心配した。普段なら、「肩書」「年齢」などの敷居で密に関わることのなさそうな人たちと、「友人」「仲間」になるのである。このグループにいながら私は、普段いかに「肩書」によってかかわりが狭めているのかを、非常に印象深く感じたものだった。

 私はゲームをしながら、時々学生たちのことを想像した。彼らの言葉を思い出したりもした。「リアルよりリアルなんですよ」という言葉を学生たちは語った。それは、匿名性に助けられて皆かなり感情的な思いを口にするという意味で語られていたと思う。彼らはそれを辛く感じたり、面白く思ったり、あるいは、「リアルではこんなに話せない」と現実生活との違いを強く体験したり、様々に反応していた。そして、「どうせゲームでしょ」と思っていた私もまた「リアルよりリアル」と感じることとなった。いや、「リアルよりリアル」ではなく「ここもまたリアル」というべきだろうか。

 私の所属していた連合は、実は一度破滅的な崩壊を体験した。リーダーに対するスケープゴーティングが起き、半数のメンバーがスケープゴーティングを扇動した40代会社経営者の国王とともに脱退し新連合を設立したのである。その理由は、キャバ嬢のリーダーが「メンバーに気を使わない」というものであった。リーダーはそのように言われて、自分がどう振舞えばいいのか非常に苦しんでいた。その姿に、反リーダー派は「私たちが思い切って問題点を挙げているのに、何もしようとしない」と怒った。リーダーは連合を強くしようと一生懸命頑張っていた。自分以外の国王に報酬が分配されるよう様々な工夫をしていた。しかし彼女はリアルの世界でも夜の仕事と昼間の勉強で忙しく、いろんな人に役割を振るようになっていった(ただ、そこで感謝はいちいち示さなかった)。反リーダー派を扇動した国王は最もリーダーに役割を振られていてよく働いていた。彼女は間違えなく仕事を振られすぎていたけれども、それを全てこなした。そして、連合の様々なメンバーにいつも気遣いしていた(ここは20代の女子よりも40代経営者の彼女に分があっただろう。しかしここは、肩書や年齢が取り払われた世界なのだ)。ちなみに新連合に移った半数は、連合の中でも強国の王ばかりであった。

 その破滅的な分裂の後、残った連合の国王たちはグループの居心地を気にするようになった。チャットではお互いに対する気遣いや思いやりの言葉が飛び交った。いつも、お互いにいい連合にしようね、と言い合っていた。そして時々、分裂した新連合に対する悪意ある言葉も飛び交った。また、連合の中に2人の副リーダーを立て、チャットでリーダーと副リーダーのどちらかがよく連合のための作戦を話し合っていた(ちなみに、新連合は連合の長を2週に一度替えていた。反省を生かしたなかなかうまい方法だと感心した)。

 「肩書」にとらわれず、「匿名性」によって現実との境界が明確になった場であるからこそ、皆、感情や欲求に素直になることができる(あるいは、なってしまう)ということなのだろうか。ノイズの少ない集団力動と個人力動の綾が鮮やかに浮かび上がっていく様に驚嘆した。

 ここまで書いて気づいた。集団精神療法もまた、「肩書」にとらわれず「境界」が明確に保持された、「ここもまたリアル」な場所であった。最大の違いであるセラピストと構造、そしてグループネスによる安全感の保持が、この集団力動と個人力動の綾を成長に導いてくれるという大きな違いはあるだろうけれども。

 (集団精神療法学会公式HP リレーコラム 2019年10月)

※PDFファイルで読む → リレーコラム24「オンラインゲームのリアル」/大橋良枝