グループが恩師?/山野上典子さん (リレーコラム21)
グループが恩師?
山野上 典子
臨床に携わる者として、20年を超える年月を過ごしてきた。20年…。なかなかの年数だな、と思う。まだまだ未熟という強い自覚と、20年なりの臨床感覚は身につけてこられたかな、という自負の両方の感覚がある。自負の方については、主にグループと患者さんたちに育んでもらったと思っている。
学生時代には、精神科病院の実習で大小さまざまなグループに関わる機会に恵まれた。
コミュニティミーティングは荒れたり和んだり沈黙したりしていた。院長が患者さんに突き上げられるのを見るのもしょっちゅうで、どこの病院もこんな風にスタッフ患者間の垣根が低いのだなと思っていた。レクでは、そうめん流しをしたり、近所の山にドライブに行って患者さんたちと大声大会をしたり、ビンゴ大会をしたりした。小グループでは、今ここで何が起こっているか頭をひねって考えながら、必死に過ごした。今でも、患者さんたちの表情や場の情景を鮮明に思い出せる。原点だったのだなぁと思う。
卒業後は別の医療機関に就職し、当然のようにグループに邁進した。やりたいようにやって良いと言ってもらえる職場環境はとてもありがたかった。多くの賛同者も得て、数年の内に院内はグループだらけになった。デイケアのオープングループでは、グループがどんなに荒れたり、参加者が少なくなったり、沈黙が続いたりしても、ほとんどしゃべらないのに欠かさず参加するASDのメンバーがいた。彼の存在に皆が安心していることに気づいたのはしばらく経ってからだった。急性期のミーティングで患者さんたちが好き好きに文句を言い上げて(山口ケンミン語)、スタッフが「あったまきた!」とブチ切れて、怒り上げたら患者さんが呆気にとられながらも、冷静さを取り戻したようになった。ここだけ切り取ると、とんでもないやりとりに思われそうだが、この展開が必然のグループになっていたと思う。ストレートなやりとりになんだか感動したことを覚えている。毎度トイレの臭さが話題になる慢性期病棟のミーティングでは、やたらと分析的に捉えようとしていたけれど、実際にはトイレの排水溝の欠陥があったということがずいぶん日が経って判明した、という患者さんたちには大変申し訳ない失敗もあったりしたが、それぞれのグループはそれなりに成長したと思う。続けるのはしんどいけれど、ここで何が起こっているのかを知る装置として、グループはあった方が良い、と思ってもらえていたのではないかと思っている。
就職してほどなく、この学会にも参加するようになった。ちょうど教育研修委員会が設立された頃で、クローズドの体験グループに頻回に参加できる機会が得られた。あらゆる職種、年齢層の専門家数名が集まり、テーマなしでたとえば90分×6セッションを過ごすわけだが、たくさんの驚きがあった。
まず、毎度泣く人があらわれる。大概いる。ものすごく怒る人がいる。怖い。あまりにも言いたい放題じゃないかと思う人がいる。おそらく大して咀嚼なく。そういう状況を呆気にとられて見ていた。専門家なのにどういうこと?と思ってもいた。ちょっと“ひいて”しまうこともあった。この頃の私は、便秘がひどく、何でもない風に装う、知性化(知識もないくせに)の優った人だったが、空間がうねってメンバーそれぞれの心に何かをもたらしていく感覚はいつもあった。だけど、後に、私自身がグループの中で、思いがけずにどばーっと涙を流して泣いてしまったり、世界が自分を中心に回っているかのような妄想様体験をしたり、言いたい放題の人と評されたりするとは、思ってもみなかった。
体験グループで出会う人の中には、“すごい人”もたくさんいる。「なんでそんなにわかっちゃうのですか」、と言いたくなるような、端的に絶妙なタイミングで何をか言い、場をうねらせるのだ。そして、刺激を受けた別のメンバーらが思いをほとばしらせる。それを受けた別のメンバーはおそらくご本人自身の頭に浮かんでいなかったような思いを言葉にのせて生み出していく。そうしてグループは、時にはアップテンポでうねり続けるのだ。セラピスト集団おそるべし、である。そんなのを目の当たりにしていると、「人間て底知れない」とまで思わせられる。
書きながら、改めて気づいた。私はグループに依存できるようになった。体験グループは視覚刺激が極力少ない静かな空間と1秒の狂いもなさそうな時間構造に守られている。あとは、しっかりグループを見ていてくれるコンダクターがいれば完璧だ。初めは違和感しかなかったその構造に身を置き続けていると、恐ろしく長く沈黙している集団の中で、自分とおしゃべりができるようになり、五感が少し研ぎ澄まされた感じになる。試しに思っていることを喋ってみたら、グループに抱えられる。もうちょっと退行してみて、「腹が立った」とか「何にも考えたくないのだからつけこまないで欲しい」とか言っても、なんか、どうにかなる。そんな風に過ごしていると、抑圧されていた自分の無意識が急に姿を現して、抑える間もなく涙が溢れる。誰かの話から、それぞれがそれぞれの身近な死を頭に浮かべて静かに思い耽ったり、喋ったり、密かに気づきを得たりする。勝手に安心して、2セッションくらい居眠りしたら、さすがに「そんな人と一緒にグループをやりたくない」と言われたりもしたが、そこから、なんか、グループが動き出した。あまりに厚かましく退行していた自分にちょっと呆れつつ、私はグループに戻っていき、しゃんと喋り出した。初心者の頃よりは端的に物が言えるようになったかな、と思う。そのグループは、最後には「いいグループになったね」なんて感想が出たりした。とまあ、こんな風にグループの中でいろんな思いを味わっていたら、安心と安全と満足が増えていき、私の便秘は改善した。
そう、時々、「あれはいいグループだったね」とグループの外で誰かと振り返ることがある。だけど、“いいグループ”ってなんじゃい。私とあなたがそのグループで全く同じ思いを味わったわけではもちろんないのに、「いいグループだったね」という言葉は、たぶんお互い腑に落ちている。それはどういうことなのか。いずれ、どなたかご解説をお願いします。
(集団精神療法学会公式HP リレーコラム 2019年7月)
※PDFファイルで読む → リレーコラム21「グループが恩師?」/山野上典子