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私のグループとの出会い

垰 雄士

こんにちは。はじめまして。私は垰(たお)と言います。広島県出身で、今も広島県に住んでいます。8月、酷暑の中、普通自動二輪(バイク)の免許を取得しました。ここ最近は秋晴れの中、「ツーリングキャンプ」を満喫しております。いつも、私が自己紹介をすると、「珍しい名前ですね~」とよく言われるのですが、「垰」というのは中国地方に多い名前なんですよ。珍しがらず、どうぞよろしくお願いします(笑)。

 さて、リレーコラムのバトンを受け取ってからというもの、とっても悩んでおりました。二つ返事で引き受けたものの、「誰」に「何」を伝えたらよいのか、からっきし思い浮かばないのです。しかも、「私のグループとの出会い」といいますと、とってもトラウマティックなお話になりそうでしたので、「ここで書くのもな~」と悩んでしまいました。そこで! 今回は、「日本集団精神療法学会に入会していない人」に向けて、「グループと出会うってなんだろう」と、一緒に考えるスタンスでコラム執筆にチャレンジしてみようと思います。もちろん、「日本集団精神療法学会に入会している人」も読んでいただいて、ぜひ感想を教えてくださいね。

 

「あなたの“グループとの出会い”は?」。そう聞かれると、私は困ってしまいます。私の場合、どうしても「災害」が思い浮かぶからです。私は、災害の影響で、精神科デイケアで働くことになりました。これが、私がグループと出会うきっかけでした。詳細は「避けたい」ので、機会があれば、実際にお会いしたときにでもお話しさせてください。ここで私が申し上げたいのは、「グループとの出会い」には、「少なからず『傷つき』や『怖さ』が伴うものなのではないか?」ということです。集団って、とっても「怖い」ものだと思うのです。「誰かに責められるのでは?」、「拒絶されるのでは?」と不安になりませんか。しかも、集団に飛び込むと「過去の恐怖」まで思い出されたりして。何を隠そう、私も集団が怖いです。できれば、「無人島一人生活」くらいが、ちょうどいいです(笑)。

 ただですね。不思議なんです。集団って。「怖いのに居たい」と思ってしまうところがあるのです。例えば、無人島で一人暮らしをしても、どこか虚しさがこみ上げてくることでしょう。かといって、人混みの中で生活するのも、なぜか疲れる。人間というのは、「群れたい」けど「群れたくない」生き物のようです。たくさんの人がいるから安心だけど、たくさんの人がいるから怖い。皆と一緒にいたいけど、皆と一緒のことをすると自分が壊れてしまう。そういう矛盾が、集団にはあるようです。そんな矛盾するような「場」からは、ついつい逃げたくなっちゃいますね(笑)。ましてや、自分から飛び込むなんて・・・。

  実は、この矛盾こそが、「集団精神療法」が「集団精神療法」たるゆえんなのではないかと思います。「グループと出会う」というのは、個人の心の中にある「グループ」と出会うということなのだと思うのです。どういうことかと言いますと、これまで接してきた集団を、人って大なり小なり心の中に取り入れていると思います。それが積み重なって、心が作られるといってもよいかもしれません。だから、「グループとの出会い」って、裏を返せば「自分自身との出会い」にもなるのかなと思います。実は、「怖いのに居たい」って、「自分と向き合いたいけど、向き合えない」っていう構図と似ているようにも思います。どんな人にも、心の中にすでに「グループ」はあって、それとの「出会い」になる。そう考えると、集団精神療法って、とっても大切な心の営みを行う場なのかなと、私は思います。

 ですから、きっと「グループと出会っていない人」はいないと思うのです。個人の中にもグループはあるのですから。だけど、「避けちゃっている人」はいると思います。なんせ、私も「逃げたがり屋」ですから、「避けちゃっている人」のひとりです(笑)。そんな仲間へ。どうか一緒に、グループと出会いませんか? グループと出会いながら、自分自身とも出会ってみたり。いつか、私も「トラウマティック」な「グループとの出会い」に向き合えたらなと思います。来年3月、日本集団精神療法学会第44回学術大会が北九州であります。このコラムを読んでくださっている皆さんと(「変なコラム」って言われるかもとちょっぴり怖いけど)、お会いできることを楽しみにしています(笑)。

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2026年11月

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「私のグループとの出会い」

勢島奏子

小学校の入学式の日。私は、ひときわ晴れやかなその空気になんとも馴染めなかったのでした。水疱瘡の病み上がりの体が人目にさらされる窮屈さが、子供ながらにありましたし、受付では名前を間違えられて、へんちくりんな響きで呼ばれてしまいます。校庭で全員の写真撮影を待つあいだも、春の日差しはすでに暑苦しく、立ちっぱなしもキツく、だからといってどうしようもなく、気詰まりにそこにいたことを覚えています。

背の高いやさしいおかっぱの子、なぜかずっと笑っている歯抜けの子、スカートめくりばかりしたがる坊主頭の子。担任の先生の突き抜けるような明るい声。競って駆け上がる通学路の坂道。掃除の時間、給食の時間。みんなの中で自分ひとりだけできないことがあって立たされていた、顔が熱くなる時間。ぎこちない春がすぎて夏が来るまでの間に、手ごたえのある記憶と感情の一群があって、それらは私がその場に確かに属していたことを示すようです。

その後、突然に私はそのグループを去ることになります。父の仕事の都合で、離れた都市に一家で引っ越すことになったのでした。夏休み前の終業式が、私がその学校に登校する最後の日でした。その朝、母が私に鉛筆の束を持たせてくれました。ぴんとした赤いチェックの包装紙に、一本一本お行儀よく包まれた、クラスメートの数だけの鉛筆。先生に促されて前に立って、なにか挨拶のようなことを言い、そして、その束を皆に渡して、私は去るはずでした。

しかし、学校を終えて帰宅した娘を見て母は驚きます。娘は、その鉛筆の束を丸ごとそのまま持ち帰ってきていたのでした。慌てた母が担任の先生に電話する声を聞いていた私は、その時黙って何を思っていたのでしょう。

私はそれから、大人になるまでにも、大人になってからも、たくさんのグループとの出会いと別れを繰り返し、のちに集団精神療法にも出会いました。自分が得てきたものや置いてきたもの、失ったものや取り戻したものについても、少しずつ、自分の手が届く範囲で確かめられるようになってきたようです。

それでも、その小学校でのことは、特に理由もないままに自分の中に埋もれていました。目立ちたくなくてグズグズしてるうちに、カバンから出しそびれちゃってね、あの時は。幼くて、間が悪かったものだよね。ただ、そう収めていたのでした。

「北九州市立の小学校に一年生の一学期だけ在籍していた私」が、再び輪郭をもつようになったのは、来春に北九州市で開催される第44回学術大会の大会長から運営委員や事務局にお声かけいただいてからのことです。北九州という土地への愛着を出し惜しまない大会長や仲間たちとともに、あれこれ準備に関わりながら、ぎこちない春も夏も過ぎ、秋まできたというのにまだ不慣れですが、この大会運営のグループに入る体験自体が、私をどこか刺激し続けているのだろうと思います。

予想もしていなかったことですが、そのうちにふと思い出されてきたのが、あの鉛筆の束が子供たちに配られる場面を、その後の自分が何度も思い描いていた、という事実でした。転校し、転校生だったことを忘れるくらいになってからも、あのクラスでひとりだけできなかったことがうんと得意になってからも、自分のいない夏休み明けの教室で仲間に配られたはずの鉛筆を、私は幾度となく思い描いていたのでした。

ああそうか、私はあのグループに、居たかったんだ。

本当は、どうしても離れたくなかったんだ。

何十年も経った今になって、まわりの大人の事情についてゆくしかない頃には気づきようがなかったことがすとんと腑に落ちて、そうすると、解凍でもされたように感情の塊が追いついてきました。悲しみなのか寂しさなのか愛惜なのか喜びなのか、すぐには分からないものをこれから私は何重にも理解してゆくのでしょう。

第44回大会のテーマ、「グループとの出会い」。出会いは、未完成のお別れがふっと顔を出して、言葉になっていなかった気持ちを掬うきっかけになることもあるのかもしれません。みなさんには、どんな「グループとの出会い」の体験があるのでしょうか。また、北九州でどんな新しい「グループとの出会い」が待っているのでしょうか。お会いできるのを今から楽しみにしています。

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2026年10月

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「私のグループとの出会い」

福澤宏之

来年の日本集団精神療法学会第44回学術大会のテーマは、「グループとの出会い~対話へのプロローグ~」です。このテーマを前にして、私がこれまでどのようにグループと出会い、付き合ってきたのかを、改めて振り返りたいと思います。

 

 正直に言うと、私は今大会の事務局長を引き受ける際、強い使命感や高い志があったわけではありませんでした。約10年間にわたり、共に自主シンポジウムを行ってきた大会長の二之宮さんから声をかけられたのがきっかけです。同じくシンポジウム仲間の高さんも事務局長を行うということで引き受けたものの、仕事が立て込むとSlack(共同作業のためのチャット)の議論についていけず、気づけば話がはるか先まで進んでいて冷や汗をかく日々です。第35回の札幌大会や昨年のIAGPで運営委員を担当した経験はあるものの、全体を把握する事務局長は自分の一番苦手な役割です。それでも、頼もしくて熱意あふれる運営委員に支えられながら、自分の能力の範囲でやれることをやろうと奮闘しています。

 そんな私ですが、グループとの付き合いはすでに20数年になります。のめり込むわけでもなく、かといって身を引くわけでもない。この微妙な距離感を保ちながら関わり続けてきました。

 私がグループに興味を持ったのは、最初に勤務した精神科病院で急性期の患者さんにグループを行っていたスタッフたちの姿を見た時でした。とても生き生きとしていて、「グループを学べば、現場で起こっていることの意味が分かる」「患者さんの社会復帰に役立てる」との期待を抱いたのです。

 しかし、現実は思うようにいきませんでした。念願かなって職場でコンダクターを担当したものの、「話を聞くだけで問題を解決してくれない」「意味なんかない」と突き上げられ、胸が詰まるような思いを何度も味わいました。グループの勉強をしようと思い、田辺等先生がコンダクターを行っていた体験グループに参加しましたが、最初の数年間はとにかく怖かったのを覚えています。目の前で激しい感情のやり取りが繰り広げられ、発言しようと何度試みても、身体が震えて口を開くことができませんでした。

 その後、鎌田明日香さんが立ち上げた若手中心の体験グループに参加し、そこではいくらかリラックスできました。とはいえ、そこでもやはり怖い思いをしたり、うんざりしたり、後味の悪いままセッションを終えることが何度もありました。体験グループに馴染み、少し気持ちが緩んだところでメンバーが重要な指摘をして緊張が走る。グループに参加して「楽しかった」「充実した時間だった」と思えたことは、実はそれほど多くはありません。

 それでも私が今日までグループを続けてこられたのは、グループが「組織や集団の中で自分を見失わないようにしてくれる」からです。マジョリティでいられれば深く考えることなく集団に適応できるでしょうが、マイノリティの側に立つと場の空気に違和感を抱きます。そこで無自覚のうちに自分の気持ちに目を背け、周りに合わせようとして苦しくなる。その苦しさに気づき、集団の雰囲気に合わないことであっても自分の気持ちを言葉にして伝える――グループは、私にその大切さを教えてくれました。

 また、グループでの学びは、「対立」との向き合い方を変えてくれました。相手と意見が異なる時、私は自分が脅かされたような気持ちになり、相手を言い負かそうとしたり、自分を守ろうとしたりします。表面的に同意を示し、その場から立ち去りたくなることもあります。しかし、グループの体験を積み重ねていくと、対立の渦中にあっても「落ち着くところに落ち着くな」とわずかな安心感を持てるようになりました。違いは違いとして受け止めながら同じ場に留まり続ける、別の機会にまた対話を続けられるベースとしての信頼感が生まれたのです。

 こうした体験を通じて感じるのは、もっと多くの人にグループの魅力を知ってほしいということです。ただし、そのためには参加のハードルを少し下げる工夫も必要だと感じています。昔は「何も知らない状態でグループに飛び込むのが良い」とされる風潮があったように思いますが、それでは大きな衝撃を受けてドロップアウトしてしまうリスクもあります。あらかじめどのような感情体験が起こりうるのかをレクチャーしたり、メンバーの傷つきに対するグループ内外でのケアを行ったりすることが大切ではないかと思います。昨年から始まった「リフレクショングループ」も、その試みの一つであると理解しています。

 私のような葛藤や迷いを抱えた者さえも受け入れてくれる懐の広さこそが、この学会の最大の魅力だと思います。「自分は自分でいいんだ」と思えるグループとの出会いを、ぜひ多くの人に体験してもらいたいと願っています。

日本集団精神療法学会公式HPコラム 2026年9月

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