リレーコラム34 田口明子 2020年08月

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わたしとグループのあれこれ

田口明子

今の私に、「グループセラピーは好きか?」と尋ねたら、「面白い」と答えるくらいには、グループというものに慣れてきたように思う。というか文字通り、すっかり習慣みたいなものになっている。それでも関わるグループによっては、緊張して警戒して、何も言えなくなってしまうことの方がまだ多い。多種多様なグループがあるし、参加するときの立場もいろいろだし、一概にはなんとも言えないことである。グループの中で「やらかしてしまった…」と感じた時は、長いことその後悔や恥ずかしさから逃れられなくなるから、怖くもある。しかしいつか、どこにいても、どんな人たちといても、どんな状況にあっても、自分が自分でいられるようになれたら、世界はどんな風に見えるのだろうか?と、そんなことも考えている。だから私はまだグループを辞めないでいるのだな、と思う。

そもそも、グループ(集団)というものを意識しだしたのは、高校生の時だったかもしれない。文化祭の準備でクラスメイトが盛り上がる中、何だか自分だけがついていけていないような違和感を覚えた。それが最初。グループセラピーなるものにはじめて触れたのは大学生の時。学生相談室が夏休みに開催していたエンカウンターグループの合宿に、ゼミの先輩に誘われて参加した。ゼミの教授がファシリテーターの一人だったということも私の関心を引きつけた。そこでの最終日、同じグループの皆が感動して肩を抱き合う場面があったけれど、私は心身共についていけず、たいそうバツの悪い思いをした。おそらくその時はまだ、そういう自分であってはいけないと思っていたのだろう。大学院では、心身一如のニュー・カウンセリングを主催する師のもとで、ワークショップグループに参加して修士論文を書いた。ここでは、身体に直接アプローチするエクササイズも多かったけれど、侵襲性を脅かされることもなく、むしろ、いっそう個々が大事にされている感覚を体験できて心地がよかった。ただ当時は、参加者兼助手兼学生という身分だったので、そういう役割があることで安心できていたのかもしれない。最初に就職した精神科病院で高良聖先生に出会い、この学会にも導いていただいた。先生とは15年間毎年、グループを企画し、立ち上げ、運営し、終結させるというサイクルをご一緒させていただいた。心理士としてもグループサイコセラピストとしても身近で学ぶ機会が多かったことは、最高の幸運である。だから、私がグループを振り返るときには欠かすことのできない存在であり、とてもここでは語りつくせない。そのほかにも、院生の時にダンスセラピーの研究グループにモニター参加してみたり、就職してからはサイコドラマのワークショップに参加してみたり、もちろん本学会の研修システムでも学ばせていただいている。また、現教育研修委員長の岡島先生(コラムリレーの前走者でもある)が20年以上前に立ちあげてくれた栃木県グループサイコセラピー研究会は、次回が「第100回」にもなるのだから驚きである。

熱心なのかどうかはともかくとして、こうしていつも何らかのグループ体験を続けているのは、私の好奇心、義務感、疑い深さゆえであり、そして何より、常にグループに触れる機会に恵まれているから、ともいえるけれど、やはりいちばん私を惹きつけるのは、グループのもつ「可能性」なのだと思う。自分が自分でいられるようになる、そこに近づく道筋の一つとして、グループのもつ力、可能性に期待しているのだと思う。そのためか、そこに「グループ」がないと、何かできないものかしら?と、グループを作るための時間と空間を探す癖すらついてしまった。しかし、この思いばかりが先走り、私の未熟さや粗雑さで、誰かを不要に傷つけるようなことはしたくない。すでに後悔していることも沢山ある。だからこわごわと、けれどワクワクも伴って、これからも体験し、学び続けていきたいと思っている。そういえば、「オンライングループ」も私にとっては未知の世界だ。でもきっと数年後には、「わたしとグループのあれこれ」に、その体験も刻まれていくのだろう。

 (集団精神療法学会公式HP リレーコラム 2020年8月)

※PDFファイルで読む → リレーコラム34 わたしとグループのあれこれ / 田口明子

 

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