立ち上がらなかったグループと、立ち上がっても続かなかったグループ
羽田 舞子
「グループの立ち上げ」のバトンをいただいた時に頭に浮かんだのは「立ち上がらなかったグループ」と「立ち上がっても続かなかったグループ」のことでした。これまで関わっててきたいくつかのグループの立ち上げの中で、上手くいかなかった、と思っている体験を思い出しました。
立ち上がらなかったグループがあります。数年前に地域の人を対象に、自由にお話ができるグループの立ち上げを考えていました。子育てで悩むお母さんや、ストレスを抱えていて少し話がしたい人が、自由に話ができる機会と定期的に作ろうと計画しましたが、未だ立ち上げることができていません。今は年1回、そこの自治体でのイベントを担当させてもらっているにとどまっています。
立ち上がっても続かなかったグループもありました。別部署のスタッフとグループの勉強会を始めたことがあります。それなりに雰囲気は悪くなく、肯定的な反応ではあり何度かは続いたのですが、いつのまにか断ち切れになってしまいました。これまでに2,3回トライしたのですが同じでした。
上手くいかなかった理由を、時間や業務負担で説明することは出来るのですが、私の中では「自分はグループを続けること、始めることができなかった」との失敗体験になっていました。
しかし、その中でも多少の変化は起きています。続かなかったグループについては、勉強会は今は行っていませんが、一緒に仕事をする機会が出てきました。その中で「やっぱり集団って面白いですね」「グループになると個々の時とまた違う力を感じます」との言葉をもらい、私がやっている患者さんのグループにもスタッフの方が積極的に関わってくれるようになったと感じています。目に見えない矢印のようなものが、なんとなく同じような方向を向いているようにも感じ、境界線はあいまいかもしれませんが、うっすらとしたグループの存在が見えるような感覚がありました。
勉強会を立ち上げたとき、私は勉強会の枠組があるから安心してスタッフが話をすることができると思っていましたが、安心できる空間は用意して作ることができるものではありませんでした。しかし、病棟全体や病院全体のより大きな枠組みや、個々の気持ちの中や1対1という小さな枠組みで捉えなおした時に、グループというものが別の形で見えてきたような気がします。グループを作っていくというのは、文化を作っていくことだと感じます。自分の中の思いがほかの人に伝わり、また同じ思いの人が呼応していくことで次第に文化が生まれ、そこには既にグループが現れ始めているのかもしれない、と思いました。不勉強の私は「グループです」と用意された枠組が大切、と思い込んでいましたが、グループはもっと経時的で柔軟だと知りました。
そう考えると、立ち上がらなかった地域のグループについても、自分が思いを持って地域とつながりを持ち続けていけば、自然にグループが現れてくるような気がします。
私事なのですが、諸事情で集団精神療法から少し気持ちの距離を取っていた時期がありましたが、先の学会に参加した時、私の中の「グループ魂」に小さな火が付いたような気がしました。自分の中に再び集団精神療法学会のグループが現れたことを嬉しく思っております。
日本集団精神療法学会公式HPコラム 2025年8月
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