グループと私
坂主貴宏
グループと私というテーマでリレーコラムのお話を頂き、最初に浮かんだのは現在勤務している精神科クリニックで行っているデイケアのプログラムでした。そこではコンダクターを行うことが多く、学会や勉強会への参加も担当しているプログラムを通してメンバーがよりよい自分になってもらいたいという思いから、グループを行う者としての研鑽を目的に取り組んでいました。プログラムではコンダクターを行う中でもっと力をつけたいという思いを抱きながらも、私と多職種との温度差をどのように理解し関係性を扱うかという二つを悩みながら、同じような思いを抱いている方が他にもいるかもしれないと空想しながら学会に参加していました。そこにはこれまでのグループに抱えてもらうという体験や、思いの積み重ねが背景にあったと感じています。
グループと私ということを考えた時に、集団精神療法について学び始めたのはここ数年のことですが、振り返ると院生時代には既に発達障害児を対象としたSSTグループから始まり、精神科病院で勤務していた頃や現在のクリニックにおいてデイケアスタッフとして勤務する曜日もあり、常にグループの中でそれぞれの役割を持ちながらいたことに改めて気付き、もっと早くに気付けたらまた違う何かが見えていたのではないかと悔やみつつも、デイケア全体や職場を一つのグループという視点で捉えることが出来たことはグループを学んだ一つの成果かと感じています。
治療者として学んでいる一方、グループと私の“私”の部分としてもグループを通して気づくことが多く、その一つがグループに抱えてもらうことの大切さやありがたさを感じたことです。昔から集団で何かをすることがあまり得意ではないと感じていながら仕事を始め、デイケアのスタッフとして業務を行う中でメンバーの前に立ちプログラムを行うと、自分では大きな声で話しているつもりでも遠くの席のメンバーから声が小さくて聞こえないとよく言われていましたが、同時にそれでも自分の話を聞こうとしてくれている姿を変わらず持ち続けくれたことや、プログラムに参加してくれたことでたんに回数をこなして慣れたというだけでなく、このメンバーさんなら聞いてくれるという安心感を抱けた体験が、臨床グループの中で最初に感じたコンテインされた体験でした。その時の感覚は現在対人関係に苦手さを抱きやすいメンバーが集まったグループを行っている時に、参加メンバーにとっても、他者に受け取ってもらうことや抱えてもらえた感じが他者と関係を築く際に大切な感覚と考え、グループでコンダクターを行う時によく意識するようになったと感じています。一方でグループの楽しさが少しずつ分かってきた部分もありながら、体験グループに参加した際に話したいことが生まれても、自問自答しているだけで言葉として発することが出来ずにセッションが終わってしまうこともありました。自分の内で何が起きているのかと考えている間にもグループの時間は進み、言葉にするタイミングを失い、また話せなかったことに対して気分が沈み抑うつ的な気持ちになる自分がいました。その背景に怒りや悲しさがありながら扱えていない自分がいて、過去の参加した研修会で感情を扱う仕事なのにも関わらず、自分が感情を扱えていないとグループで話したことを思い出しました。それから臨床グループやスタッフ同士のミーティングなどグループの輪の中にいると、私を始め他の人は扱いたいものを本当に扱えているのか、言葉にしたいことがあっても話せていないのではないかと意識が向くようになったのも、グループに触れるようになったことで感じられるようになった新たな側面かとこのコラムを執筆しながら思いました。グループというものを扱うようになって間もない中で感じたことや思ったことは、今度グループに関わる中で私にとって一つの柱になるかと感じています。そしてより深く関われることで臨床グループを行うスタッフとしての研鑽だけでなく、私自身の気付きや自己理解の場になればとも思いました。
日本集団精神療法学会公式HPコラム 2026年7月
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