私の中でグループが立ち上がりかけている
長尾直子
Let’s Try!
前回12月のコラム担当小野塚さんからぐーっと背中を押してもらってなんとか書きます。
グループは不思議だ。机も何もなく、まるごしの自分が中心を向いて座ることから始まる。どこを見たらよいのか、どういう姿勢で座るべきか、長く習ってきてそれなりに自分のスタイルがかたまってきたと思っていた個人の一対一の場での心理療法とは違うところばかり。早くこの環境に慣れていきたいと思っていた。話す側聴く側、教える側教えられる側というサイドがはっきりする場ではない、サイドのない空間。円なのだから当然と言えば当然か。閉じられた円は一周するようなイメージや内へ吸い込まれるようなイメージ、外の世界との遮断のイメージも浮かぶ。
私が立ち上げに関わったのは街中の小さなクリニックの思春期グループ「コノツギの会」だけなので、そのことを書きます。
対象は中高生年齢、クリニックを受診している子どもたち、定員15名で完全予約制。1回45分。「コノツギの会」という不思議な名前は小学生まではプレイセラピーがあり、その次の年代でのセラピーがなかったために院長が命名。週一回のペースで開かれているが、曜日が重ならないのと、希望者が多くなかなか予約が取れないので、毎回のメンバーはかなり変化がある。コンダクターが初めに約束事を伝える。「時間の枠を守る、何を話してもいい、聞いているだけでもいい、秘密は守る、先生と呼ばない。」子どもたちの背景は様々である。公立校、私立校、支援学級、支援学校、高専、通信制、定時制、フリースクール、アルバイト、寮生活、母子寮・・・。
最初の頃、ココンダクターとしてどうふるまえばよいのかわからないまま不安になり、院長に尋ねたら一言「素になって」と言われた。「そうか、素になるってなんだか久しぶりに聞いた言葉・・」「私服に着替えるし、心理士でないようにふるまえばよいのだな」といったんはイメージできて参加。しかしこの年代になって自分はなんとまあいろいろなものを上に上にかぶせてしまっていることか、ということに直面していく。しかも心理スタッフ、ココンダクターとしての返答や振る舞いが他のスタッフにも見られている、ということへの意識、それがもうすでに素ではない・・・。名前を聞いても答えない子、外国籍の子、年齢も性別もはっきりとわかりにくい子。学校の話題が出たら・・成績の話題が出たら・・家族の話題では傷つく子がいるのではとどこかいつも躊躇したりびくびくしたりする自分がいた。それこそがこの場を安全な場と思えていないことであり、どこかで勝手にサイドを作ってしまっていることなのだと少しずつ気づいていく。今もびくびくしながら。
そしてコノツギの会がかなり他のグループセラピーと違うのはココンダクターの存在である。通常ココンダクターは2~3名らしいと、あとでいろいろな人から教えてもらうことになるのだが、コノツギの会では最大でメンバーと同じくらい、7~10名程度のココンダクターが常に参加している。クリニックには心理系の大学生のバイト、大学院生のバイト、卒業してすぐの資格勉強中の若い人たちが毎曜日6名くらいはいる。その他に精神保健福祉士や小さいときから家族まるごと知っている受付担当が入ることもある。つまり中高生にとても近い年代の人たちがたくさん参加している。メンバーの子どもたちは誰がココンダクターなのかはっきりとわからない。現に隣のココンダクターに「何年生ですか?」「バイトなにしてるんですか?」とごく普通に聞いていることもある(これはかなりうらやましい)。大人なのか、青年年代なのか、正体がよくわからない、スタッフなのかそうでないのか、自分たちのことをよく知っている人なのか知らない人なのか、何をする人なのか確かめようがなく始まる。あやふやな存在、中間、間(ま)というものが一瞬にしてできているこの場。そこにいること。こんな場はどこにもなかなか作ろうとしても作れないなあと思っている。子どもたちは役割や答えがはっきりしている現実とは違う空間に身を置いて、少しずつ驚いたり同じだなあと思ったりしているのではないだろうか。ゲーム用語やSNS用語が飛び交う時間もあるが落ち込んでいるひまはないと悟った。案外黙っている子にぼそっと聞いてみると「知らない」「興味ない」とはっきり答える子たちもいる。また、そういう話題のときには私のほうを熱心に見てゆっくり話そうとする子もいてなんだかほっとさせられたり複雑な気持ちになったり。
そしてレビューもまさにグループである。最近はグループのときの椅子をそのまま片付けずに自分たちの場所もそのままでレビューしてみることを試している。子どもたちの一つの言葉、何気ない仕草、わずかな表情から受け取るものがいかに人によって違うものであるか、そしてそう感じた自分という内面をこわごわ覗き込む時間でもある。
文献や体験グループを紹介し合って学んでいこうとしている若い人たちに刺激を受けながら、今やっと私の中でグループ(のようなもの)が立ち上がりかけている。振り返れば、早くこの環境に慣れないとと思っていたが、今は慣れたくない、慣れたらアカンと強く思う。
コノツギの会のコノツギ、子どもたちにとってのコノツギ、自分自身にとってのコノツギ・・・ふと「解放」や「希望」という言葉が頭の中をめぐる。
その言葉を心に浮かべながら次へバトンを渡します!
日本集団精神療法学会公式HPコラム 2025年1月
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