わたしとグループのあれこれ その2/田口明子さん (リレーコラム46)
「わたしとグループのあれこれ その2」
田口明子
ちょうど一年たって、またリレーコラムが巡ってきた。リレーといえば運動会。特別走るのが早くもない私に二巡目が回ってくることは滅多になかったので、突然のことに最初は驚き、様々な空想や不安が掻き立てられた。が、せっかくだから書かせてもらおう!とすぐに思いなおった。この立ち直りの早さ(?)は、グループで培われたものかもしれない。けれど何を書こうか? 前回はこれまでどんなグループセラピーに触れてきたかの概括だったので、今回はもう少し具体的にいきたい。
よく思い出す光景がいくつかあって、それは今の私のスタイルにも大きな影響を与えている。一つは、一年目に勤務した病院でのこと。当時は「心理劇」という呼び名で、慢性期の入院者と外来通院者が一緒になったグループで、そこに参加させてもらうことになった。毎回最初に、「近況報告」を皆が順番に話し、その中で気になったエピソードを全員で、アクションで展開していく、というプログラムだった(と思う、たぶん)。私にとって、その、毎回の「近況報告」が、グループへの帰属意識を高めてくれている、と実感できた最初の出来事だった。毎回もれなく、私にも発言の機会が与えられ、取るに足らない内容であっても否定されることもなく受け入れてもらえる。(いつもニコニコ笑顔を向けてくれたメンバーのことも思い出される。)それだけの事なのに、いつのまにかそこに「安心」を覚えている自分に気づき、それがとても嬉しかった。心理士一年目で、当時の職場で何をしたらいいのか、何ができるのかもわからない不安定な時期だったからこそ、ことさら身に染みたのかもしれない。あの時の感覚が今も自分の中に生きているので、実施するグループの特性によっては、「近況報告」の時間を積極的に用いることにしている。
二つ目は、とあるクリニックでのこと。既に行われていたリワークデイケアが軌道に乗った後で、リワークに該当しない、もしくは、その前段階にある方たちを対象にした生活支援目的のデイケアが開設されることになった。その時にふと、女性のみを対象にしたグループを始めて見ようと思いついた。すると徐々に、そのグループを目的に、デイケアへの参加者が増え始めるようになった。参加者には専業主婦も多く、治療を続けながらの家事や社会生活に苦慮していることが語られた。また、自身の親子関係に古くから苦しんでいる方たちも多かった。彼女たちはときどき、「ここで自分のことを語ることも、他人の話に耳を傾けることも、(嫌なことが思い出されるので)実はとても辛い。しかしどうにか克服したいので頑張っている」と話してくれた。私にとって、こんな風にグループ参加への葛藤があることや、目的意識を明確に伝えられるという経験は初めてに近かった。そして、「この人達の頑張りに私も応えなければ、応えたい!」という思いが契機となって、グループサイコセラピストの申請を決意した、という経緯がある。つまり、本末転倒な話かもしれないが、グループとそのメンバーの存在が、私にグループサイコセラピストとしての責任を引き受ける覚悟を決めさせてくれたといえる。そのことを、当時のメンバーに伝えていたかどうかは覚えていないが、少なくとも、今も私がグループを続けられているのは、彼女たちとのあの場、あの時間があってのことと思い、感謝している。
こんな風に、私はグループに生かされ続けてきたし、育てて貰ってもきたな、と思い出すことがたくさんある。そしてそれはこれからも続くだろうし、私自身もその一部であり続けたいと願っている。
(日本集団精神療法学会公式HPリレーコラム2021年8月)
※PDFファイルで読む →リレーコラム46|田口明子2021年8月