グループと私の出会い
藤澤希美
私が初めてこの学会における「グループ」に出会ったのは、大学院生の頃でした。それまで私は長い間、グループとは「複数で話し合い、課題を解決する場」だと認識していました。大学院で行ったグループディスカッションでは、テーマが与えられなければ無理に話題を探し、「私はこのアーティストが好きです」とウケのよさそうな自己紹介をしてみたり、事例について話し合うというお題が出れば、“今、求められているのは課題解決の話し合いだ”と思い込み、その場を仕切ってみたりしていました。気持ちに目を向けるという発想はなく、その場をできるだけ自分にとって安全で居心地のよい空間にしようと必死だったのを覚えています。
今考えるとゾッとするのですが、当時の私は教室でグループワークがあると、よく司会や発表者を務めており、みんなが避けがちな役割を自らが率先して引き受けることで、“友人を助けているんだ”と思い込んでいたところもありました。振り返ると、私は幼少期から3人姉妹の長女で、頼られることもあれば悪者役を引き受けることも多く、その場で求められる役割を考えて動く習慣が自然と身についていたのだと思います。そこには、“嫌だな”という気持ちもありましたが、努力が報われる経験もあり、その積み重ねが自分のグループワークでの立ち振る舞いにつながっていたように感じます。
転機となったのは、ある秋の研修会で入門コースに参加したことでした。そこで初めて「グループは気持ちを扱う場である」と知り、それまでの自分の振る舞いを思い返して、強い恥ずかしさを覚えました。何とか上書きしたい一心で学会の研修に参加したり、大学院生の頃に読んでいた『集団精神療法ハンドブック』を読み返したりもしました。ただ、当時の私には専門用語や看護とは異なる体験世界に難しさを感じてしまい、あまり頭に入らない状態でした。そこで“体験が大事!”と思い込むようにして、体験グループばかりに参加するようになっていました。
体験グループに参加して間もない頃に印象的だったのは、職場でのつらい体験を涙ながらに語っている参加者の姿でした。こんなに素直に感情を表現できる人と場があることに驚き、同時に羨ましさも覚えました。その頃の私には、まだグループという場に安全を感じられず、自分を表現することへの恥ずかしさや戸惑いもあり、つらいことがあっても、それを表現できずにいたのだと思います。
その後、偶然のつながりから、現在関わっている「こうえん」と出会いました。会員になるかどうかという時期に、大会でたまたま「こうえん」の会場係を担当した私は、内容もよくわからず、自分が話してよいのかもわからない状態で、“まずは会場係としての役割を果たそう”と思ってその場にいました。そんな中、少し場がしんみりとしているタイミングで参加者の1人から「なんだかニコニコしているけど、どうしたの?」と声をかけられ、“ヤバい、ニヤニヤしてたかも”と戸惑いながらも、その場でニヤニヤしていた理由を伝えました。そこからグループの雰囲気が少しずつ変化し始め、自分もグループに貢献できたのではないかと内心喜んでいました。
この経験がきっかけで、のちにコンダクターズに参加することになり、今に至っています。あのとき、会場係という名もない非会員の私に声をかけてくれたことで、“ここにいていい”“話しても大丈夫”という感覚を得られたことは、今でも私の支えになっています。
あれから月日は経ち、今では看護師さんや学生とグループを行う機会が増えてきました。これからは、私を育ててくれているグループをどう伝えていくか、新たな挑戦を始めたいと思っています。その一つとして、第43回学術大会では、所属先の学生からアルバイトを募集することにしました。学生が学会に参加することで、少しでもグループを体験し、一人でも多く「グループに出会う体験」につながればと願っています。
日本集団精神療法学会公式HPコラム 2025年12月
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