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リレーコラム「集団精神療法のさまざまなかたち」 No.08 ~メンタライゼーション編② 現場での体験談 ―児童養護施設での思春期メンタライジング・アプローチ グループ

2024年9月25日

現場での体験談 ―児童養護施設での思春期メンタライジング・アプローチ グループ

家崎 咲代

 

現場での体験談をお話する前に、今なぜメンタライゼーションに基づく治療(以下MBT)が注目されるようになったのか、私のような児童養護施設で被虐待児の心理治療に従事する者が、児童福祉現場にMBTを取り入れようとしたのか、といったところからお話していきたいと思います。

大橋良枝さんの先のコラムにあったように、MBTは、境界性パーソナリティ障害の理解や治療として開発されたものでした。その理論では、人であれば誰もが持っているであろうメンタライジング能力が不十分、あるいはその発達が制止している状態が、境界性パーソナリティ障害の病理の中心であると考えられています。(Bateman & Fonagy,2004)

このような難しい患者(あるいはクライエント)の予備軍たちが、児童福祉現場に多く存在すると私は日々、感じていました。重篤な虐待やネグレクトを受けた子どもたちは、永久的に児童福祉で治療が得られることはなく、18歳(※法律上、年齢は撤廃されましたが、現状は難しい)という期限がきたら治療は終了になり、成人福祉に繋がらない場合は、治療の継続の多くが絶たれてしまいます。

実際に施設入所期間中の施設心理士による被虐待児の個人心理療法だけでは、時間がかかるうえに、成果も乏しく、限界を感じていました。また、子どもたちを養育するケアワーカーが、虐待を受けた子どもたちと関わるなかで二次的外傷性ストレスを抱えることも多く、心理支援は難航していました。そこで、子ども達が児童養護施設で暮らしている間に、施設全体が治療体となって、包括的にケアできるものはないだろうかと探していました。そのときMBTに出会ったのです。

MBTでは、海外において集団療法と個人療法を同時に行うのが主流ということを知り、本題である中学生・高校生を中心にMBTを汎用した形(メンタライジング アプローチ)のグループをやってみようと思いました。

しかし、児童養護施設で集団療法を行う土壌を作ることは簡単ではなく、全国的にも集団療法を子どもの施設で行っている所は少ないと思われます。そのような不安や苦労を経て、実際には2021年から手探りで実施しました。

実際に始めてみると、施設の子ども達は、なにを尋ねても「わからない」「知らない」「どうでもいい」といった答えが多く、対話にならないところが最初、何より難しかったです。

この主体性のなさ、自明性が育ちにくいという様子から、MBTの中核概念の1つである『行動主体自己(Bateman & Fonagy,2004,2006)』を育てていくことを最終治療目的にするのだという強い思いが沸いてきました。

そこからは、プレイフルなスタイルを取り入れ、自分が好きなことは何か、自分が今まで影響を受けたもの(人)は何かなどのテーマを設定し投げかけてのエクササイズを楽しい雰囲気の中に組み入れながら、その子の考えや感情を聞く=自己メンタライジングの促進を促すことをセッションの中で実践していました。

また、メンバーの話を聞いて、どう思ったのか、その人の立場に立っての気持ちや考え(他者メンタライジング)をシェアするといったことなども、同時に聞くようにしていました。

最初から、上手くいったわけではないですが、そういったことを意識してやっていると、なんとなく子ども達も、問いかけが来ることを予測していて、子ども同士で「〇〇の気持ちを考えてみよう!」などと、ファシリテーターの真似をするといったことが出てきました。

今、振り返るとこの一連の介入や流れ(ここでは一部の紹介)というものは、すでに子どものグループでは、普通に行われていたことでもあると気づきました。MBTが「素朴で古い療法である(Jon G.Allen,2013)」と言われる所以でもあり、傷ついた子どもたちだからこそ、そういったあたり前のようなことをあえて概念化し、丁寧に行うことの重要性を説いたところがMBTの特徴のように思えました。「なんか、こんな楽しく普通にやっていることが、グループ療法なのだろうか」と子どもたちに思わせることこそ、安定な愛着関係を自然に提供できる可能性があるのではないかと感じました。

そのような空間の中で、徐々にグループが安全な場所であり、居場所として機能し出すと、子ども達は、社会で傷ついたり、失敗したりしても、自分にはグループがあり、自分を認めてくれる仲間がいると言い、グループが安全基地になっていました。それが、次の挑戦に繋がったり、未来の自分を想像して自分を信じ、進めて行く原動力になっていると見ていて感じました。

ここでの子ども達は、「どうせ自分の人生は、最悪で変わるはずがない」と思いがちでしたが、確かに施設に暮らす境遇は変えようのない事実です。どうして最悪と思うのか、どうして変わらないと思っているのか、変わるための別の方法はないのか?と考えていくためにはメンタライジング能力が必要です。それでも、<どうして変わらないと思っているのか?>と尋ねたところで「わからない」とか、「変わらないと思うから変わらない」などという答えが大半でした。ストレスフルな問いに対しては、メンタライズが停止して、考えようとしない心のモード(プリテンドモード)に陥っていたり、「変わるはずがない」と決めつけている心のモード(心的等価モード)に陥ってしまいます。そこで、ファシリテーターが別の視点や方法を探すように促し、メンタライジングが再稼働するよう助けていく介入を丁寧に繰り返すことが必要でした。一緒に考えていく関係性の中で、子どもたちの中に認識的信頼が芽生え、主体性が育まれ、変化している自分に気づくと子どもたちは自信がついていきました。

そして、他者にもメンタライジングができるようになると、メンタライジングしたことで、また誰かがメンタライジングしていくといったような汎化が生まれる循環を感じました。

子どもたちが、最終的には自分にとって苦しい難しい局面を「どうしたいのか」をメンタライジングして、主体的に生きていくことの基礎ができたらと考えています。

最後になりますが、もしこの機会にMBTに興味を持たれる方がいらっしゃれば、とても嬉しく思います。次の執筆者は、私に「MBT」と、何よりも「グループ」の面白さを教えて下さった方です。さらにMBTの魅力を紹介して頂けるだろうと、私自身、楽しみにしています。ありがとうございました。

 

日本集団精神療法学会公式HPコラム No.08 2023年12月

※PDFファイルで読む →現場での体験談 ―児童養護施設での思春期メンタライジング・アプローチ グループ